ナバタイ族の都市であったペトラ。
ヨルダンの国土の8割が砂漠に覆われ、
所々に岩山が点在するこの国で、なぜこんな場所に都が築かれたのか。
実際に歩いてみると、乾いた大地の厳しさと、
その中で築かれた都市の知恵の両方が伝わってきます。
今回は、ペトラ遺跡の前半として、入口からシーク、
そしてエル・カズネまでを、旅の空気感とともにご紹介します。
ペトラ(Petra)
世界遺産登録年
1985年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。
世界遺産に選ばれた背景
ヨルダンの国土の8割が砂漠に広がり、そして所々に点在する岩山。
そんな人を遠ざけるような大地に、ペトラの都が建設されました。
なぜ、こんな場所に都が出来たかというと、この地方は、
かつてアラビア半島を横断して地中海に至るルート上にあり、
ヨルダン高原から死海~アカバ方面のワディ・アカバに向かう場合、
標高差があり、移動が困難であったからです。
そんな中、ペトラは、ワディ・ムーサを源にした川があり、
そこからワディ・アカバに向かって流れ落ちる入口でもありました。
そのため、隊商達にそのルートを通行させることで、繁栄した中継都市でした。
この立地は、単に守りやすいだけではなく、
交易と水の両方を押さえられることに大きな意味がありました。
砂漠の中に都を築くには、水の確保が何より重要ですが、
ペトラはその条件を満たしていたからこそ発展できたのだと思います。
実際に現地へ行くと、壮大な景色の中に、
都市がここで成り立った理由が少しずつ見えてきます。
また、ペトラ遺跡は、新世界の7不思議に選ばれています。
世界の7不思議とは、旧世界の7不思議と新世界の7不思議があります。
新世界の7不思議は、スイスに本拠を置く「新世界7不思議財団」により2007年に選出されました。
世界の7不思議について詳しく知りたい方は、こちらで全体像をまとめています。

中東・アフリカの世界遺産を一覧で見たい方は、こちらもあわせてどうぞ。

歴史背景
ペトラは、ギリシャ語で「岩」を意味しているように、巨大な砂岩をくり抜いて作られており、
ナバタイ文化とギリシア文化の流れを組む中継都市として発展して行ったが、
その後、廃墟となり、1812年、スイス人探検家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトに発見されるまで、
1000年近く忘れられた都となりました。
ナバタイ人は、アラビア系の遊牧民を背景に持ちながら、
香料や乳香などを運ぶ隊商交易によって富を築いた人々とされています。
その富をもとに、岩山を削った墓や神殿風のファサードを造り、
水路や貯水槽まで整え、砂漠の中に都市を成立させました。
ただ遺跡が残っているというより、交易、水利、信仰、
葬送文化が重なっていた都市だったことが、歩くほどによくわかります。
また、ペトラは紀元前1世紀ごろに最盛期を迎え、
ローマ帝国の支配下に入った後も一定の重要性を保ちましたが、
海上交易の発達や度重なる地震の影響で、しだいに都市としての存在感を失っていきました。
だからこそ今残っている景観は、繁栄の名残であると同時に、
長い時間の中で静かに忘れられていった都の姿でもあります。
乾いた谷と赤茶けた岩山の景色の中に、
その時間の厚みが自然に重なって見えてきます。
最近では、インディージョーンズ最後の聖戦のラストシーンで、
エル・ハズネからシークを通るシーンがあまりにも有名ですね。
下の土産物屋の看板が印象的です。
ペトラ遺跡 (Petra)
住所:Petra, The basin restaurant، Colonnaded St, Wadi Musa, ヨルダン
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時間 | 一般的には6:00頃から入場でき、閉場は季節により16:00~18:00頃が目安です。 ペトラ・バイ・ナイトは実施日や時間が変わることがあります。 |
| 定休日 | 基本的には無休です。 |
| 料金 | 一般的には1DAY 50JD、2DAY 55JD、3DAY 60JDが目安です。料金や運営内容は変わることがあるため、 訪問前に公式情報を確認するのがおすすめです。 |
公式URL
http://www.visitpetra.jo/Default.aspx
下記がチケットです。私は、2DAYを購入しました。

ペトラ遺跡は、世界で一番高い入場料の遺跡と言われています。
ただ、実際には見どころが多すぎるため、1日だけだとかなり慌ただしくなります。
入口からエル・カズネまででもしっかり歩きますし、
その先にも劇場や列柱道路、王家の墓、エド・ディルなど見どころが続きます。
そのため、時間に余裕があれば2DAY以上のほうが歩きやすく、
遺跡の雰囲気も味わいやすいと思います。
朝早い時間は、まだ谷に日差しが差し込みきらず、
岩の色もやや落ち着いて見えます。
逆に日が高くなると、砂岩の赤みやオレンジ色が強く出て、
写真の印象もかなり変わります。
広い遺跡なので、歩きやすい靴と水は必須で、
日差しが強い時期は帽子や日よけもかなり重要です。

塔の墓(Tomb of the Tower)
このモニュメントは塔の墓と言われ、枯れ谷の右岸に位置する3つの巨大な四角い岩塊である。
1つの岩の上には、階段状のピラミッドの基底部が今も残っているが、上部は失われている。
入口から歩き始めたばかりの段階で、こうした岩の墓が現れると、
ペトラがエル・カズネだけの遺跡ではなく、谷全体に墓や記念建築が広がる都市遺跡であることが伝わってきます。
派手な装飾で見せるタイプではありませんが、巨大な岩そのものを使った造形に力強さがあり、
これから先に続く岩窟都市の世界への導入としても印象に残ります。
有名なエル・カズネへ急ぎたくなる場所ですが、
こうした最初のモニュメントに目を向けると、ペトラの広がりがつかみやすくなります。
塔の墓は、完成したファサードの美しさを見せるというより、
岩山の中に墓を築くという発想そのものを感じる場所です。
人工物でありながら自然の岩塊に溶け込んでいて、
ペトラの建築が景観と切り離せないこともよくわかります。
入口近くの段階からこうした墓が現れることで、この都が生者の都市であると同時に、
死者の記憶を刻む場所でもあったことが伝わってきます。

オベリスクの墓(Obelisk Tomb)
この遺跡は、上部が、オベリスクの墓と言われ、
下部は、トリクリニウムの墓と呼ばれ、上下の墓は、
別々のモニュメントとして造られた。
上部のオベリスクは、埋葬された死者を象徴しており、
下部の表面は、トリクリニウムと呼ばれ、
死者のために饗宴の儀式が行われていたらしい。
この構成からは、ペトラの墓が単なる埋葬施設ではなく、
死者を悼み、儀礼を行う場でもあったことがうかがえます。
上部のオベリスクが象徴性を持ち、下部の空間が儀礼の場として使われたという点は、
ナバタイ人の死生観や信仰を感じさせる部分です。
入口近くにありながら見応えがあり、
ペトラの宗教文化に触れられる場所でした。
オベリスクという形そのものにも、死者を記憶する象徴性が感じられます。
下部のトリクリニウムは、単に食事をする場所というより、
死者のための饗宴を行うための空間とされ、葬送儀礼が生活と切り離されていなかったことを思わせます。
豪華な建物ではなくても、こうした構造を知って見ると、入口近くからすでにペトラの文化の濃さが伝わってきます。

シーク(Siq)
シークとは、狭い岩の裂け目のことをいい、岩の裂け目を1.5㎞も砂利道が続きます。
崖の高さは、60m~100mもあり迫力満点です。
ここを歩き始めると、入口付近の開けた景色とは空気が大きく変わります。
左右の岩壁が高くせり上がり、先へ進むほど光の入り方も変わって、
まるで都市の奥へ引き込まれていくような感覚になります。
ペトラ観光の中でも、このシークを歩く時間そのものが強く印象に残ります。
歩いていると、岩壁の色が赤、茶、紫がかった色へと少しずつ変わっていき、同じ道なのに表情が単調になりません。
時間帯によって明るさもかなり変わるので、朝と昼ではまったく違う雰囲気になります。
入口から遺跡の核心へ向かって気分が高まっていく、ペトラらしい演出のような道です。



シークの見どころ
シークの途中には、水源地から水を引いていた水路跡が見られます。
砂漠の国ヨルダンにとって、水の確保が一番大事になります。
雨が降ると岩山から流れた水が、シークに彫られた水路により集められ、貯水槽まで流れる仕組みになっていました。
現在は、わかっているだけで5本の水路があり、貯水槽の数は、なんと200以上も存在したそうです。
年間200mmしか降らないペトラにとって、降った雨を残さず集め、
それを町の外から数kmも流していたなんて、昔の人の知恵はすごいですね。
最近の研究では、巨大なプールや噴水まであったそうで、なんともすごいです。

そして、下の写真が、古代ローマ時代のダムを復元したものです。

途中には、象に見える岩などがあります。

まだ、壁面にらくだが彫られています。

ドゥシャラ神を祀った祠
ドゥシャラ神を祀った祠もあります。
ここに動物の雄のライオンや牛など、生贄が捧げられたそうです。
ドゥシャラ神の典型的な半球形の霊石も見られ、ナバタイ人の信仰の一端に触れられます。
細い岩の裂け目を歩き続ける中で、こうした痕跡が次々に現れるので、シークは単なる通路ではありません。
景色に見とれながら歩ける場所ですが、壁面や足元を意識すると、都市を支えた仕組みまで見えてきます。

ドゥシャラ神の典型的な半球形の霊石


細い岩の裂け目を歩き続ける中で、こうした痕跡が次々に現れるので、
シークは単なる通路ではありません。
景色に見とれながら歩ける場所ですが、壁面や足元を意識すると、
水利施設、信仰の痕跡、装飾的な彫刻まで見つかり、都市を支えた仕組みそのものが見えてきます。
ただの通り道ではなく、ペトラの技術と信仰が凝縮された空間だと感じました。
シークの魅力は、最後までエル・カズネを見せきらないところにもあります。
長い岩の回廊を歩かされることで、期待が少しずつ高まり、
最後に視界が開けたときの印象がより強くなります。
自然が作った裂け目を都市の入口として使い、
その中に水路や信仰の痕跡まで重ねているところに、ペトラの都市設計の巧みさを感じます。

エル・カズネ(El・Khazneh)
シークを歩き続けると、岩の割れ目の向こうにエル・カズネが見えてきます。
ペトラ観光の中でも、もっとも印象に残る場面のひとつです。
狭く切り立った岩の通路を抜けた先に、
突然、巨大なファサードが現れるため、初めて訪れると強く印象に残ります。
エル・カズネは、崖を削って彫りぬかれた岩窟建築で、正面は神殿のようなファサードになっています。
高さは約43m、幅は約30mあり、ペトラを代表する建物として知られています。
現在は一般に「宝物殿」として知られていますが、実際には王族や有力者の墓、
あるいは記念的な建築であった可能性があると考えられています。


「エル・カズネ」という名前は、建物上部の壺に宝物が隠されていると信じられていたことに由来します。
この壺は今でもファサード上部に見ることができ、エル・カズネを象徴する細部のひとつです。
下の写真がその壺です。

建築様式にはヘレニズム建築の影響が見られ、列柱、破風、彫像を組み合わせた華やかな正面構成が特徴です。
ナバタイの都でありながら、ギリシア・ローマ系の意匠が取り入れられており、
交易都市として外の文化を受け入れていたことが、この建築からもよくわかります。
岩山そのものを使いながら、ここまで整った外観に仕上げている点が、エル・カズネの大きな見どころです。
観光では、まずシークの出口付近から全景を眺め、そのあと少し近づいて細部を見る歩き方がおすすめです。
遠景では建物全体の迫力が伝わり、近くでは彫刻の細かさや左右の均整のとれた構成がよくわかります。
ペトラの象徴として有名ですが、実際に目の前で見ると、写真以上に岩の質感と建築の完成度が印象に残る建物でした。
ペトラ遺跡は、見どころが多すぎるため、2回にわけて紹介します。
後半は、エル・カズネから先を紹介していきます。
後半の記事はこちらです。

アクセス
最寄り空港は一般的にはアンマンのクイーン・アリア国際空港です。
空港からワディ・ムーサ周辺までは車で約3時間半から4時間ほどが目安になります。
公共交通機関で向かう場合は、まずアンマン市内へ出て、
JETTバスなどでワディ・ムーサへ移動する形がわかりやすいです。
ワディ・ムーサの町からペトラ遺跡のビジターセンターまでは徒歩やタクシーでアクセスできます。
個人で動きにくいと感じる場合は、アンマン発や死海、ワディ・ラムと組み合わせた周遊ツアーを使うと移動がかなり楽です。
ヨルダンは見どころが点在しているので、日程が限られる場合は移動手段を先に固めておくと回りやすいです。
旅の終わりに
ペトラは、ただ有名な岩窟遺跡を見る場所ではありませんでした。
入口からシークを歩き、水路跡や祠を見ながら進んでいくと、
ここが厳しい砂漠の中で本当に機能していた都市だったことが少しずつわかってきます。
そして、最後にエル・カズネが現れた瞬間、その歴史の厚みが一気に景色として立ち上がってきます。
ヨルダンを旅するなら、やはり外せない場所です。
前半だけでも十分に濃いですが、ペトラはその先にもまだまだ見どころが続きます。


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