世界遺産「サマルカンド‐文化交差路」のアフラシャブ丘周辺を散策してみた。

サマルカンドの観光
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サマルカンドの町は、旧市街を中心としたレギスタン広場を取り囲んだ東側のエリアと19世紀から帝政ロシアの街並みが残る新市街エリアと、チンギスハーンに破壊される以前に町の中心だったアフラシャブの丘エリアの3つに大きく分けることができます。
ティムール帝国時代に築かれた巨大な歴史的な建造物の多くが残り、中国陶磁器とペルシャの顔料が融合して
生まれた「サマルカンドブルー」で彩られた建造物は、世界遺産に登録されています。

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サマルカンド‐文化交差路(Samarkand – Crossroad of Cultures)

2001年 ユネスコ文化遺産に登録

サマルカンド(古代マラカンダ)は、シルクロードの重要なオアシス都市として、古くから交易により
発展してきた町です。
1220年、チンギスハーンが率いるモンゴル軍に襲われて一度壊滅したが、150年後の1370年、中央アジアの遊牧民から
興ったティムール帝国の誕生とともに、その首都として華やかに再生しました。
太守ティムール(1336~1405年)は、サマルカンドに世界各地から、学者や芸術家、建築家、職人などを集め、壮麗な
モスクやメドレセ(神学校)をつぎつぎと建設し、美術、文学、天文学なども盛んになりました。
14~15世紀の中央アジアにおけるイスラム文化の粋が、この都市に集結しました。
16世紀初頭、ティムール帝国の崩壊とともに、町は、衰退したが「サマルカンドブルー」と呼ばれる青色に彩られた数々の建造物
が、当時の繁栄を今に伝えています。
なお、北東にあるアフラシアブの丘には、1220年に破壊された町が廃墟として残っています。

ウルグ・ベク天文台

住所:M2F4+W7M, Toshkent yo’li, Samarqand, Samarqand viloyati, ウズベキスタン

時間
  • 9:00~18:00(4月~10月)
  • 9:00~17:00(11月~3月)
定休日 無休
料金 40,000スム

アフラシャブの丘から北東に約1㎞、チュバン・アタという丘の上にある15世紀の天文台の跡で、1908年、
それまで土に埋もれていたこの遺跡をロシアのアマチュア考古学者ヴィヤトキンにより発見されました。
それまでは、ウルグベクがどこで観測されていたか謎とされていたそうです。

現在は、円い天文台の基礎と六文儀の地下部分のみが残っています。
かつては、この六分儀は、地下部分の11mと合わせて40mの高さがあり、弧長は、約63mという巨大な物でした。
これを高さ30m以上の建物が取り囲んでいたといわれています。
ここでの観測をもとに、ウルグベグは、恒星時1年間を365日6時間10分8秒と推測としたということです。
今日の精密機器で計られたそれは365日6時間9分9.6秒で、誤差は1分にも満たないらしい。
望遠鏡もない当時の技術でいかにして正確な数値を割り出しのか?まさに驚きです。
また1018の星の軌跡を記録した彼の天文表は、ウルグベグの名を広く世界に知らしめることになります。

人口の門が再建されています。

六分儀の遺構です。

敷地内に、天文台の復元模型やウルグベグの功績などを展示した博物館があります。

天文台の復元模型です。

ホジャ・ダニエル廟

住所:A 9, Termez St, Samarkand, Samarqand Region, ウズベキスタン

時間
  • 8:00~18:00(4月~10月)
  • 9:00~17:00(11月~3月)
定休日 無休
料金 25,000スム

アフラシャブ博物館から北東に徒歩約10分、小川のほとりにある霊廟で、紀元前4~前3世紀の聖人ダニエルを祀っています。
彼の遺骨は、国外に持ち去られたが、14世紀にティムールがイランから持ち帰り、以前寺院があった場所に
長さ18mもの墓を建てて葬りました。

伝説では、100年ごとに彼の骨が成長するため長い墓を造ったといわれています。

霊廟のある丘の麓には、聖水が湧いており、後利益があると信じらています。

ここから水を汲んで飲んでいる人がたくさんいました。

アフラシャブ博物館

住所:MX9V+P89, Toshkent yo’li, Samarqand, Samarqand viloyati, ウズベキスタン

時間
  • 8:00~18:00(4月~10月)
  • 9:00~17:00(11月~3月)
定休日 無休
料金 40,000スム

アフラシャブの丘の麓にある博物館で、13世紀にチンギスハーンによってサマルカンドの町が破壊される以前の
アレクサンドロス大王時代のコインをはじめ、ゾロアスター教の祭壇や偶像など丘の上から出土品が数多く展示されています。
入口正面の部屋に展示してある7世紀のフレスコ画は、アフラシャブの丘の古代ソグド人領主の宮殿跡から出土したもので
チャガン(タシケント)からの婚礼の行進、朝鮮人や中国人が交易にやってきている様子など正確なレイアウトで展示されています。

地層ごとに文化の跡が違うのがわかります。

アフラシャブの丘の全景です。

アフラシャブの丘

13世紀以前にサマルカンドがあった場所で、モンゴルによって徹底的に破壊されてしまいました。
現在は、ユネスコの管轄下で発掘調査が行わており、文化の痕跡が11層もの厚さで積み重なっているのが確認されています。
アフラシャブの名は、伝説のソグド王から彩られたもので、当時の町は、城壁で囲まれ、4つの大きな門がありました。
この門を通じて、サマルカンドは、シルクロードと結ばれていました。
当時の旅行者や学者の記録の中で、当時のサマルカンドは、道が舗装され、水道が各家庭に延び、緑にあふれた
「人間が見た中で最も美しい眺めのひとつ」と書かれていました。
大きな鉛管で引かれる大量の水が、それを可能にしていたが、モンゴル来襲のあと町が廃れてしまった理由が
給水システムを破壊されたことによるらしいです。
丘の北東には、シタデル(城壁)の跡がはっきりわかる形で残っています。

サマルカンドの観光地からは、少し離れていますが、古のサマルカンドの町から見下ろすこともできるので
時間があればこのエリアにも足を延ばしてもらえればと思います。



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