インドには現在、文化遺産35件・自然遺産7件・複合遺産1件、
合計43件のユネスコ世界遺産が登録されています。
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北インドを旅すると、壮大なタージ・マハールや赤砂岩で築かれたラール・キラー(赤い城)など、
ムガール帝国が残した数々の歴史遺産に出会います。
その中でも首都デリーは、イスラム王朝からムガール帝国へと続く歴史が色濃く残る街です。
街のあちこちには王朝の栄華を物語る建造物が点在し、
インドの歴史を知るうえで欠かせない見どころが数多く残されています。
今回ご紹介するフマユーン廟(Humayun’s Tomb)は、
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンのために建てられた壮麗な廟です。
完成から450年以上が経った現在でも美しい姿を保ち、
ムガール建築の礎を築いた建造物として高く評価されています。
その建築様式は、後に建設されるタージ・マハールにも受け継がれ、
「ムガール建築の原点」とも呼ばれる世界遺産です。
私も実際に訪れましたが、巨大な門をくぐった瞬間、
左右対称に整えられた庭園の奥に堂々と建つ赤と白の廟が現れ、
その美しい景観に思わず足を止めました。デリー市内とは思えないほど静かな空間が広がり、
皇帝の眠る場所にふさわしい荘厳な雰囲気を感じられる場所でした。
フマユーン廟(Humayun’s Tomb)
1983年 ユネスコ世界文化遺産登録
フマユーン廟は、
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓として16世紀後半に建設された世界遺産です。
赤砂岩と白大理石を組み合わせた壮麗な建築、
四方を均等に区画した庭園、完全な左右対称の構造など、
それまでのインド建築には見られなかった新しい様式を取り入れたことで知られています。
インドで初めて本格的なペルシャ様式の庭園墓として造営されたことから、
ムガール建築の出発点とも評価されており、
後に建設されるタージ・マハールへとつながる重要な建築として世界中から多くの観光客が訪れています。
世界遺産に選ばれた理由
フマユーン廟が世界遺産に登録された最大の理由は、
ムガール建築の発展において極めて重要な役割を果たした記念碑的建造物だからです。
16世紀半ば、ムガール帝国は中央アジアやペルシャから伝わった建築技術と
インド独自の建築文化を融合させ、新しい建築様式を確立していきました。その最初の完成形がフマユーン廟でした。
広大な庭園の中心に廟を配置する「チャハルバーグ(四分庭園)」の思想や、
左右対称を徹底した設計、赤砂岩と白大理石の美しい対比などは、その後のムガール建築の基準となります。
さらに約70年後、この建築思想はアーグラのタージ・マハールでさらに発展し、
世界最高峰の霊廟建築へと昇華しました。
フマユーン廟は単なる皇帝の墓ではなく、
ムガール帝国の芸術・建築・文化の礎を築いた歴史的建造物として高く評価され、
1983年にユネスコ世界文化遺産へ登録されました。
歴史的背景
フマユーンは、ムガール帝国を建国したバーブルの長男として生まれ、
1530年に第2代皇帝へ即位しました。
しかし、アフガン系の武将シェール・シャー・スールとの戦いに敗れて王位を追われ、
約15年間にわたる亡命生活を送ります。ペルシャでサファヴィー朝の支援を受けた後、
1555年にデリーを奪還しましたが、その翌年に事故で急逝しました。
皇后ハージ・ベグムは亡き夫のために壮大な霊廟の建設を決意し、
1565年に着工。1572年に完成したフマユーン廟は、
ペルシャ人建築家ミラク・ミルザ・ギヤースの設計によって、
ムガール建築の新たな時代を切り開く建造物となりました。
住所:Mathura Road Opposite, Hazrat Nizamuddin Aulia Dargah, Nizamuddin, New Delhi, Delhi 110013 インド
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 営業時間 | 日の出~日没 |
| 定休日 | 無休 |
| 料金 | 外国人600ルピー・15歳未満無料 |
| 公式サイト | http://www.humayunstomb.com/ |
ムガール帝国第2代皇帝・フマユーンとは
フマユーンは、ムガール帝国を築いた初代皇帝バーブルの長男として1508年に生まれ、
1530年に第2代皇帝へ即位しました。
父から広大な領土を受け継いだものの、
国内では諸勢力との対立が続き、アフガン系の武将シェール・シャー・スールとの戦いに敗れて王位を失います。
その後はペルシャへ亡命し、サファヴィー朝の支援を受けながら再起を図りました。
1555年にはデリーを奪還し、再び皇帝として復位を果たします。しかし、
その翌年に図書館の階段から転落する事故によって急逝しました。
波乱に満ちた生涯を送った皇帝でしたが、
その後のムガール帝国は息子アクバル大帝の時代に最盛期を迎えます。
皇后の愛によって建てられた廟【建設の経緯】
フマユーンの死後、遺体は当初デリーに埋葬されました。
しかし当時は政情が不安定であったため、
安全を確保する目的から一時的にパンジャーブ地方のシルヒンドへ移されています。
その後、皇后ハージ・ベグム(ベガ・ベグム)は、
亡き夫のために壮大な霊廟を建設することを決意しました。
1565年に工事が始まり、完成したのは1572年。
設計にはペルシャの著名な建築家ミラク・ミルザ・ギヤースが起用され、
当時最先端だったペルシャ建築の技術が数多く取り入れられました。
王自らが築いた墓ではなく、皇后の深い愛情と敬意によって造営されたことは、
フマユーン廟をより特別な存在にしています。
完成した廟は単なる墓所ではなく、後の皇帝たちの霊廟建築の手本となり、
ムガール建築を代表する名建築として今日まで受け継がれています。

タージ・マハールへと続く建築様式
フマユーン廟を訪れてまず印象に残るのは、
どこまでも美しく整えられた左右対称の景観です。
広大な庭園の中心に廟を配置し、水路が十字に交差する
「チャハルバーグ(四分庭園)」と呼ばれるペルシャ式庭園を採用しています。
この庭園はイスラム世界における「楽園」を表現したもので、
見る人に静けさと調和を感じさせます。
建物には赤砂岩を主体としながら、
随所に白大理石を組み合わせることで重厚感と華やかさを演出しています。
大きな中央ドームや連続するアーチ、
美しい幾何学模様なども、この時代のムガール建築を象徴する特徴です。
これらの建築思想は約70年後、
アーグラに建設されたタージ・マハールへと受け継がれ、さらに完成度を高めていきました。
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見どころ①:壮麗なシンメトリー建築
赤砂岩と白大理石を基調とした廟は、
遠くから見ても圧倒的な存在感を放っています。
入口のアーチをくぐると、
正面に廟が現れ、
左右対称の完璧なバランスが視界いっぱいに広がります。
これはイスラム建築を象徴する美意識のひとつです。

見どころ②:内部構造と皇帝の棺
内部中央に置かれている白い棺は、
実は 象徴的な仮の棺。
実際のフマユーンの遺体は、
その真下の地下室に安置されています。
見上げると、
ドーム天井には繊細な装飾が施され、
静かで荘厳な空間が広がっています。


天井もなんとも美しい。


ペルシャ文化とインド文化の融合
フマユーン廟は、単なる皇帝の墓ではありません。
ここには、中央アジアやペルシャから伝わったイスラム建築と、
インドの伝統的な建築技術や装飾文化が見事に融合しています。
四方を水路で区切ったチャハルバーグ(四分庭園)、赤砂岩と白大理石を組み合わせた外観、
幾何学模様を取り入れた装飾、そして大きなドームを中心に据えた左右対称の設計など、
その後のムガール建築を特徴づける要素が数多く取り入れられています。
私も園内を歩きながら、庭園越しに眺める廟の姿や、
細部まで計算された美しいシンメトリーに何度も足を止めました。
建築そのものの迫力はもちろんですが、
庭園や水路も含めて一つの作品として完成されていることに驚かされます。
世界的な知名度ではタージ・マハールに及ばないものの、
建築史という視点で見ると、その原点ともいえる存在です。
ムガール帝国が築き上げた芸術や建築文化を知るうえで、
フマユーン廟はデリーを代表する重要な世界遺産の一つとなっています。







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