ヨルダン・ペトラ遺跡|エル・カズネからエド・ディルへ歩く後半観光ガイド

ペトラの観光
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ナバタイ族の都市であったペトラ。

前半では、シークを抜けてエル・カズネに至るまでの流れだけでも十分に圧倒されましたが、
ペトラの本当の広さと奥行きは、その先を歩いてからさらに実感しました。

ローマ円形劇場、王家の墓、柱廊、ビザンチン教会、そしてエド・ディルまで。

後半は、岩の都の内部をさらに深く歩きながら、
ペトラの都市としての厚みを感じられるルートをご紹介します。

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ペトラ(Petra)

世界遺産登録年
1985年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。

世界遺産に選ばれた背景

ヨルダンの国土の8割が砂漠が広がり、そして、所々に点在する岩山。
そんな人を遠ざけるような大地に、ペトラの都が建設されました。

なぜ、こんな場所に都が出来たかというと、この地方は、
かつては、アラビア半島を横断して地中海に至るルート上にあり、
ヨルダン高原から死海~アカバ方面のワディ・アカバに向かう場合、
標高差があり、移動が困難であったからです。

そんな中、ペトラは、ワディ・ムーサを源にした川があり、
そこからワディ・アカバに向かって流れ落ちる入口でもありました。
そのため、隊商達にそのルートを通行させることで、繁栄した中継都市でした。

また、ペトラ遺跡は、新世界の7不思議に選ばれています。
世界の7不思議とは、旧世界の7不思議と新世界の7不思議があります。
新世界の7不思議は、スイスに本拠を置く「新世界7不思議財団」により2007年に選出されました。

世界の7不思議について詳しく知りたい方は、こちらで全体像をまとめています。

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歴史背景

ペトラは、ギリシャ語で「岩」を意味しているように、巨大な砂岩をくり抜いて作られており、
ナバタイ文化とギリシア文化の流れを組む中継都市として発展して行ったが、
その後、廃墟となり、1812年、スイス人探検家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトに発見されるまで、
1000年近く忘れられた都となりました。

ナバタイ人は、アラビア系の遊牧民を背景に持ちながら、
香料や乳香などを運ぶ隊商交易によって富を築いた人々とされています。

その富をもとに、岩山を削った墓や神殿風のファサードを造り、
水路や貯水槽まで整え、砂漠の中に都市を成立させました。

後半ルートを歩くと、ペトラが単なる象徴的な岩窟遺跡ではなく、
宗教、葬送、公共空間が重なった大都市であったことがよりはっきり伝わってきます。

ペトラ (Petra)

住所:Petra, The basin restaurant، Colonnaded St, Wadi Musa, ヨルダン

項目 内容
時間 一般的には6:00頃から入場でき、閉場は季節により16:00~18:00頃が目安です。ペトラ・バイ・ナイトは実施日や時間が変わることがあります。
定休日 基本的には無休です。
料金 一般的には1DAY 50JD、2DAY 55JD、3DAY 60JDが目安です。料金や運営内容は変わることがあるため、訪問前に公式情報を確認するのがおすすめです。

下記がチケットです。私は、2DAYを購入しました。

ペトラ遺跡は、とても広いので、2回にわけて紹介します。

エル・カズネからエド・ディルまでは5㎞くらいの距離があり、
その中にも見るべき遺跡がたくさんあります。

後半は、前半よりもさらに歩く距離が長くなり、階段や坂道も増えてきます。

とくにエド・ディルまで行く場合は、暑い時間帯だとかなり体力を使うので、
水分と歩きやすい靴は必須です。

前半から読みたい方はこちらです。

ヨルダン・ペトラ遺跡|シークとエル・カズネを歩く岩の都の前半ガイド
ヨルダンの世界遺産ペトラ遺跡を前半ガイド。シークを歩き、エル・カズネへ至るルートを中心に、歴史背景と見どころ、水路や墓の構造まで実体験ベースで詳しく解説します。

ローマ円形劇場(Roman Amphitheater)

5000人以上の観客を収容できた劇場で、33段の階段席があります。
2~3世紀頃の建設されたと言われています。

エル・カズネを過ぎて進むと、岩山の中に大きく掘り込まれた劇場が現れます。
ペトラは岩窟墓の印象が強い遺跡ですが、この劇場を見ると、都市としての公共性が一気に見えてきます。
山肌を直接削って座席を造り出しているため、人工建築でありながら周囲の地形と強く一体化しているのが特徴です。

ローマ支配下で整備が進んだと考えられる部分でもあり、ナバタイの都が交易だけではなく、
娯楽や公共行事のための空間まで持っていたことが伝わってきます。

劇場の前に立つと、ここが静かな遺跡ではなく、
かつて多くの人が集まる生きた都市だったことを想像しやすい場所でした。

犠牲の階段(High Place of Sacrifice)

ローマ円形劇場の手前にある狭い階段を上って行き、頂上まで歩くこと約30分。

別名「高きところ」と呼ばれ、眼下を一望できます。
犠牲の祭壇には、死者の記念碑や神の顔を浮き彫りにした霊石があります。

オベリスクや住居跡なども残っています。

ここは、ペトラの中でも信仰の色が濃く感じられる場所です。
実際に登っていくと、足元は決して楽ではありませんが、高い場所へ向かっていくことで、
祭祀の場としての特別さが自然と伝わってきます。

頂上に着くと、谷全体を見渡せる景色が広がり、
なぜこうした高所が聖なる場所として選ばれたのかも納得しやすいです。

ライオンのモニュメント(The Lion Monument)

犠牲祭壇の山に降った雨を下の庭墓の横にあるダムへと流す桶になっています。
ライオンの頭の上を流れ落ちた水は、顔を伝って前足に流れていくようになっています。

一見すると装飾的なモニュメントに見えますが、実際には水を流す仕組みの一部になっていたとされ、
ペトラらしい水利技術の巧みさが感じられます。

ライオンという造形には宗教的な象徴性も重なっていたと考えられ、
単なる実用品では終わらないところが興味深いです。

乾いた岩山の中にこうした設備が残っていると、
都市全体が徹底して水を集める構造でできていたことがよくわかります。

現地では見逃してしまいそうな場所ですが、仕組みを知って見ると印象が変わります。
装飾、信仰、実用の3つが重なっていて、ペトラの遺構の面白さがよく出ている場所でした。

宮殿の墓・コリンシアンの墓・シルクの墓・アーンの墓 (Palace Tomb・Corinthian Tomb・Silk Tomb・Urn Tomb)

ローマ円形状劇場の右側にある、岩をくりぬいた建物が多く見られる。
この墓は、ビザンチン時代に教会として使用されていたそうです。

最大のものは、宮殿の墓で、3階立てのローマ帝政期宮殿建築を模倣しています。
宮殿は、一番左から宮殿の墓・コリンシアンの墓・シルクの墓・壺の墓になります。

下が壺の宮殿です。

宮殿の中はこんな感じです。

この一帯は、後半ルートの中でもとくに見応えのある場所です。
ひとつひとつの墓の表情が異なり、同じ岩窟墓群でも意匠や色合いの違いがはっきり出ています。
とくにシルクの墓は、砂岩の層が作る色の美しさが印象的で、自然の模様そのものが装飾になっているように見えます。

宮殿の墓は、ファサードの大きさと段状の構成が目を引きます。
コリンシアンの墓は、名前の通り古典建築風の意匠が感じられ、ペトラが外来文化を吸収していたことを思わせます。
アーンの墓は、後に教会としても使われたとされ、墓が時代を超えて別の用途を持ったことがわかる点も興味深いです。
内部に入ると外観の華やかさとは違う静けさがあり、葬送の空間としての雰囲気も感じられました。

柱廊・凱旋門(Colonnaded Street・Triumphal Arch)

柱廊は、幅6mもあり、周りには、遺跡がたくさんありましたが、
551年に大地震がありほとんどの遺跡が崩壊してしまったが、
凱旋門だけが比較的保存状態が良く残っています。

ここまで来ると、ペトラの印象が岩窟墓の都から、
ローマ都市的な街並みを持つ都市へと少し変わってきます。

長く伸びる柱廊通りは、かつてこの場所が人の往来でにぎわっていた中心部だったことを感じさせます。

現在は崩壊した部分も多いですが、通りの軸線や広がりは十分に伝わり、
都市計画の名残をたどる面白さがあります。

凱旋門が比較的よい状態で残っていることで、当時の空間構成を想像しやすくなっています。
墓や神殿だけではなく、街の中心を歩いている感覚が出てくるので、
後半ルートの中でも都市性を感じやすいエリアでした。

大寺院(Great Temple)

大寺院は、柱廊通り周辺に広がる大型遺構で、ペトラの公共建築の規模感を実感しやすい場所です。
現在は基壇や列柱、広場状の構成をたどる形になりますが、かつては非常に大きな儀礼空間、
あるいは公共空間として機能していたと考えられています。

後半ルートでは墓や岩窟建築に目が向きがちですが、こうした大規模建築を見ると、
ペトラが相当に整った都市だったことがはっきり伝わってきます。

現地では遺構が広く散っているため、全体像を頭の中で組み立てながら歩く必要があります。
そのぶん、石の配置や段差、残る柱の位置から往時の規模を想像する楽しさがありました。

カールス・アルビント(Qasr Al-Bint)

凱旋門を通り抜けると、長さ180mの石で舗装された広大な広場があります。
ここは、「第一の神殿」と言われテメノス(神域)だったところである。

Qasr Al-Bint は、ペトラの中でも数少ない、
岩をくり抜くのではなく組積造で建てられた神殿として知られています。

そのため、ここに来ると、それまで見てきた岩窟建築とはまた違う印象になります。

神域の中心に建つ独立建築だったことを思うと、
宗教都市としてのペトラの格が強く感じられる場所です。

広場のスケールが大きいため、実際に歩くと周囲の空が広く見え、
谷の中を歩いてきた感覚が少し変わります。

遺構としては欠けている部分も多いですが、かえって神域だった場所の広がりが想像しやすく、
ペトラの宗教空間の大きさが伝わってきました。

ビザンチン教会(Byzantine Church)

柱廊通りの横の小道を登って行くとある教会跡。
この教会は、ナバティア人の王国の首都であったペトラの遺跡の上に紀元450~500年に建てられた。
はじめは後陣部分とエントランスのポーチ部分、南側の側廊部分のモザイクがこの時期に作られたらしい。

ビザンチン時代になると、ペトラはナバタイの都としての最盛期を過ぎていましたが、
それでも宗教的・地域的な重要性を保っていたことが、この教会跡からうかがえます。

この場所の魅力は、何よりもモザイクの存在です。
岩の都の中で、こうした床装飾に出会うと、時代が移り変わってもこの土地が使われ続けていたことが強く感じられます。

見どころは、モザイクの精緻さと、ナバタイ都市の上にキリスト教建築が重なっている歴史の層です。
墓や神殿が中心に見えるペトラの中で、この教会は後の時代の空気を伝える存在になっています。
静かな場所にあり、少し小道を上がる分、人の流れから離れて落ち着いて見やすいのも印象的でした。

ライオン・トリクリニウム(Lion Triclinium)

入口にライオンの彫刻があります。
トリクリニウムとは、古代ローマのダイニングルームのことです。

この遺構は、名前の通り入口付近のライオン彫刻が目を引きます。

トリクリニウムという名称からわかるように、食事や饗宴に関わる空間と考えられており、
死者を記念する儀礼や集まりの場であった可能性があります。

ペトラでは墓と饗宴空間が近い関係にあることが多く、
葬送文化と日常の儀礼が切り離されていなかったことが感じられます。

外観は派手すぎませんが、こうした場が点在していることで、
ペトラが単に monument を並べた場所ではなく、
人々の宗教行為や共同体の記憶が積み重なった都市だったことが見えてきます。

エド・ディル(Ed Deir)

エド・ディルは、高さ45m、幅50mとエル・カズネより大きい。
1世紀中頃に建てられたナバタイ人の神殿である。

それにしてもエド・ディルは、炎天下の中、坂道を歩いていきます。
体力のない方は、ロバに乗っていくのもありかと思います。

そして、目の前に、エド・ディルが現れます。

エド・ディルの正面から丘へ進むとビューポイントがあります。
そこから見るとエド・ディルの全景を見ることができます。

エド・ディルは、後半ルート最大のハイライトです。
エル・カズネより大きいと聞いていても、実際に自分の足で坂道と階段を登り切った先に現れると、
その存在感はやはり特別でした。

ファサードの構成はエル・カズネと通じる部分がありますが、
より簡潔で力強く、山の上の空間にどっしりと立つ姿が印象に残ります。

見どころは、建物そのものの大きさに加えて、
そこへ至る過程も含めた体験です。

炎天下の中を歩いていくため楽ではありませんが、
そのぶん到着したときの達成感が強く、ペトラ後半を歩いた実感が最も残る場所でした。

ビューポイントまで進むと全景が見え、
周囲の地形の中にこの巨大な神殿がどう置かれているのかまでよくわかります。
時間と体力が許すなら、後半で最優先にしたい場所です。

アクセス

最寄り空港は一般的にはアンマンのクイーン・アリア国際空港です。
空港からワディ・ムーサ周辺までは車で約3時間半から4時間ほどが目安になります。

公共交通機関で向かう場合は、まずアンマン市内へ出て、
JETTバスなどでワディ・ムーサへ移動する形がわかりやすいです。

ワディ・ムーサの町からペトラ遺跡のビジターセンターまでは徒歩やタクシーでアクセスできます。
後半ルートまでしっかり歩く場合は、前日にワディ・ムーサへ宿泊して、
朝早くから入場するほうが動きやすいです。

個人で移動しにくい場合は、アンマン、死海、ワディ・ラムと組み合わせた周遊ツアーを使うと回りやすいです。

旅の終わりに

ペトラ遺跡は、私の中で文句なく見るべき世界遺産のベスト3に入ります。

実際に訪れて感動した世界遺産ベスト30|一生に一度は行きたい絶景・遺跡ランキング
実際に訪れた世界遺産の中から、体験価値の高かった文化遺産ベスト20・自然遺産ベスト10をランキング形式で紹介。ペトラ、ティカル、マチュ・ピチュ、レンソイスなど、旅人目線で本当に印象に残った世界遺産を厳選しました。

前半のエル・カズネまででも十分に感動しますが、
その先まで歩くと、ペトラがひとつの象徴的な建物だけで語れる場所ではないことがよくわかります。

ローマ円形劇場、王家の墓、柱廊、教会跡、そしてエド・ディルまで。
宗教、交易、公共空間、葬送文化が重なった都市を、自分の足でたどっていく感覚がこの遺跡の大きな魅力です。
中東の中でも比較的旅しやすいエリアなので、遺跡好きの方はぜひ現地で歩いてみてください。


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