蘇州は、春秋時代に呉の都として栄えた歴史ある街です。
その蘇州で「呉中第一の名勝」と称されているのが、
古城の北西に位置する虎丘です。
北宋の詩人・蘇軾(蘇東坡)が、
蘇州に到りて虎丘に遊ばずんば、乃ち憾事なり
(蘇州を訪れて虎丘を見ないのは、まことに残念なことである)
と語ったと伝えられ、その名は広く知られるようになりました。
高さ30メートル余りの小さな丘ですが、頂上には「東洋の斜塔」
と呼ばれる雲岩寺塔が立ち、剣池や千人石など、
呉王闔閭にまつわる数々の伝説が残されています。
今回は、蘇州の歴史を象徴する名勝・虎丘を紹介します。
目次
虎丘(Tiger Hill)
住所:江蘇省蘇州市姑蘇区虎丘山門内8号
公式URLhttps://www.tigerhill.com/EN/
| 時間 |
※入場は閉門30分前まで |
| 定休日 | 無休 |
| 料金 |
|
旺季は4月・5月・7月~10月、淡季は1月~3月・6月・11月・12月です。
開園時間や最終入場時刻、入場料は変更されることがあります。
訪問前に公式サイトや現地の予約サイトで最新情報を確認してください。
虎丘とは
虎丘は、春秋時代の呉王・闔閭(こうりょ)の墓があると伝えられている小高い丘です。
もともとは海湧山と呼ばれていましたが、闔閭が埋葬されてから3日後、
白い虎が墓の上に現れて守ったという伝説から
「虎丘」と呼ばれるようになったといわれています。
虎丘の標高は30メートル余り。
決して高い山ではありませんが、雲岩寺塔や剣池、
千人石をはじめ、50か所を超える見どころが点在しています。
自然の風景と寺院建築、呉の歴史や伝説が一つの丘に
凝縮されていることから、「呉中第一の名勝」と称されてきました。
虎丘と呉越戦争
虎丘の歴史を理解するうえで欠かせないのが、
春秋時代に呉と越の間で繰り広げられた呉越戦争です。
呉王闔閭の時代、呉は孫武や伍子胥といった名臣を登用して勢力を拡大し、
当時の大国であった楚の都・郢を占領するほどの強国となりました。
しかし、越王勾践との戦いで闔閭は負傷し、
息子の夫差に復讐を託して亡くなります。
夫差は父の遺言を忘れないため、
薪の上で寝て復讐心を保ち続けたと伝えられています。
やがて夫差は越を破り、勾践を降伏させました。
一方の勾践は、苦い胆をなめて敗北の屈辱を
忘れないようにしながら、密かに国力を蓄えます。
その後、越は呉への反撃を開始し、
紀元前473年に呉を滅ぼしました。
薪の上で寝た夫差と、胆をなめて復讐を誓った勾践。
この故事から、将来の成功や復讐のために長い間苦労を
重ねることを意味する「臥薪嘗胆」という言葉が生まれました。
また、「呉越同舟」は、本来は敵対する呉と越の人々であっても、
同じ舟で嵐に遭えば協力するという『孫子』の故事に由来します。
虎丘に眠ると伝えられる闔閭は、
こうした呉越の歴史が動き始めた時代の王でした。
虎丘の見どころ
雲岩寺塔(Yunyan Temple Pagoda)
虎丘の頂上に立つ雲岩寺塔は、一般に「虎丘塔」と呼ばれています。
現在の塔は五代十国時代の959年に建設が始まり、
北宋時代の961年に完成したとされる、
高さ約47.7メートルの七層八角形の仏塔です。
長い年月の中で地盤が沈下し、
塔は北西方向へ約3度59分傾いています。
その姿から「東洋の斜塔」や
「中国のピサの斜塔」と呼ばれるようになりました。

八角形の塔はレンガを主体として造られ、
その姿は蘇州を代表する景観の一つとなっています。
かつて蘇州では「先に虎丘塔を見て、
後に蘇州の街を見る」といわれるほど、遠くからでも目印になる存在でした。
雲岩寺塔を含む山塘歴史文化街区は、
2014年に世界文化遺産へ登録された「中国大運河」の構成資産に含まれています。
虎丘は単なる景勝地ではなく、
大運河とともに発展してきた蘇州の歴史を伝える場所でもあります。
剣池(Sword Pond)
雲岩寺塔へ向かう途中にある細長い池が、
虎丘を代表する見どころの一つである剣池です。
この池の地下には呉王闔閭の墓があり、
闔閭が愛した名剣を含む3,000本の剣が副葬品として埋められたという伝説が残されています。
名剣を手に入れるため、秦の始皇帝や三国時代の呉の孫権が発掘を試みたものの、
剣を見つけることはできなかったといわれています。

剣池の北側では、1950年代と2008年に水を抜いた際、
石を積み上げた洞窟状の入口が確認されています。
ただし、雲岩寺塔の安全に影響する可能性があるため、本格的な発掘調査は行われていません。
そのため、池の奥に本当に闔閭の墓があるのかどうかは、現在も謎のままです。
史実と伝説の境界がはっきりしないところにも、剣池の神秘的な魅力があります。
千人石
剣池の手前に広がる大きな岩が千人石です。
名前の由来については、
主に二つの伝説が残されています。
一つは、夫差が父・闔閭を埋葬した際、墓の場所や副葬品の秘密を守るため、
工事に携わった人々をこの岩の上で殺害したというものです。
もう一つは、南北朝時代の僧・竺道生がこの場所で説法を行い、
その話を聞くために千人もの人々が集まったという伝説です。
赤みを帯びた平らな岩は実際に多くの人が座れるほど大きく、
剣池へ向かう途中の印象的な景観となっています。
どちらの話も伝説ではありますが、虎丘が墓所としてだけでなく、
仏教文化の場としても発展してきたことを感じさせます。

虎丘を訪れる前に知っておきたいこと
虎丘には今回紹介した場所以外にも、試剣石、断梁殿、
憨憨泉、二仙亭、冷香閣など、
歴史や伝説に彩られた見どころが点在しています。
私は時間の関係で、
虎丘のすべてをゆっくり見て回ることはできませんでした。
敷地内には坂道や石段があり、見どころも多いため、
できれば2~3時間ほど確保して訪れるのがおすすめです。
また、虎丘を訪れる前に読んでほしいのが、
横山光輝の漫画『史記』です。
作中には呉越戦争や臥薪嘗胆にまつわる物語が描かれています。
登場人物や時代背景を知ってから訪れると、
剣池や千人石を単なる風景として見るのではなく、
呉の歴史と結びつけながら歩けるようになります。
虎丘へのアクセス
虎丘の最寄り駅は、蘇州地下鉄6号線の虎丘駅です。
虎丘駅から虎丘風景区の入口までは徒歩で移動できます。
ただし、南門と北門では駅からの距離や園内の回り方が異なるため、
地図で利用する入口を確認しておくと安心です。
蘇州駅から向かう場合は、
地下鉄を乗り継いで虎丘駅へ向かう方法が分かりやすいでしょう。
路線バスを利用する場合は、
虎丘南門や虎丘北門周辺に停車する路線がありますが、
路線番号や運行経路が変更されることもあります。
訪問当日に地図アプリで最新の経路を確認してください。
蘇州駅や山塘街周辺から配車アプリやタクシーを利用する方法も便利です。
山塘街とあわせて巡る
虎丘の南門からは、
蘇州を代表する歴史地区・山塘街へと道が続いています。
山塘街は、唐代の詩人・白居易が
蘇州の長官を務めていた時代に整備したと伝えられる水辺の街です。
「七里山塘、虎丘に到る」といわれるように、
山塘街と虎丘は古くから水路と道で結ばれてきました。
時間に余裕があれば、午前中に虎丘を見学し、
その後に山塘街を歩くルートがおすすめです。
旅の終わりに
虎丘で最も目を引くのは、丘の頂上に立つ雲岩寺塔です。
千年以上もの間、傾きながらも蘇州の街を見守ってきた塔の姿は、
それだけでも虎丘を訪れる理由になります。
しかし、実際に歩いてみると、
虎丘の魅力は斜塔だけではありませんでした。
呉王闔閭の墓が眠ると伝えられる剣池、
数々の伝説が残る千人石、そして呉と越が争った春秋時代の物語。
小さな丘の中に、蘇州が呉の都であった時代から、
大運河によって栄えた時代までの歴史が重なっています。
史実と伝説が入り交じる場所を歩きながら、
古代の物語に思いを巡らせる。
虎丘は、東洋の斜塔を見るだけではなく、
蘇州の長い歴史を感じながらゆっくり散策したい名勝でした。


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