世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中にある「軍艦島」を散策してみた。

長崎の観光
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日本は、明治に入り、急速な近代化を果たしております。
そんな足跡をたどることがある世界遺産は、日本各地に散らばっています。
特に、九州エリアが多く、その中でも長崎エリアが最も多く、有名な遺構もたくさんあります。

今回は、ご紹介するのは、産業革命遺産の中心である「軍艦島」を紹介します。

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明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

2015年 ユネスコ無形文化遺産に登録

明治日本の産業革命遺産は、構成資産は、岩手県から鹿児島県にまたがる次の8エリアに点在する幕末の1850年代から
明治末期の1910年までの23資産(*印は非公開)。

登録地域の面積は、構成資産 306.66ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 2,408.33ヘクタール。

エリア1:萩

  1. 萩反射炉
  2. 恵美須ケ鼻造船所跡
  3. 大板山たたら製鉄遺跡
  4. 萩城下町
  5. 松下村塾

エリア2:鹿児島

  1. 旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)
  2. 寺山炭窯跡
  3. 関吉の疎水溝

エリア3:韮山

  1. 韮山反射炉

エリア4:釜石

  1. 橋野鉄鉱山

エリア5:佐賀

  1. 三重津海軍所跡

エリア6:長崎

  1. 小菅修船場跡
  2. 三菱長崎造船所第三船渠*
  3. 三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン*
  4. 三菱長崎造船所旧木型場
  5. 三菱長崎造船所占勝閣*
  6. 高島炭鉱
  7. 端島炭鉱
  8. 旧グラバー住宅

エリア7:三池(2)

  1. 三池炭鉱・三池港(三池炭鉱宮原坑、三池炭鉱万田坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港)
  2. 三角西港

エリア8:八幡(2)

  1. 官営八幡製鉄所(八幡製鐵所旧本事務所*、八幡製鐵所修繕工場*、八幡製鐵所旧鍛冶工場*)
  2. 遠賀川水源地ポンプ室*

軍艦島(端島炭鉱)

長崎半島から西に約4.5㎞、三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱があった高島から南西に約2.5㎞、長崎港から南西に
約19㎞の沖合に位置する「端島」は、南北に約480m、南西に約160m、周囲約1200m、面積63,000㎡という小さな海底炭鉱の島
で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と
呼ばれるようになりました。

端島の歴史

端島では、1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が採炭を行っていましたが、1890年に三菱合資会社の経営となり、本格的な海底炭鉱
として、操業が開始されました。出炭量が増加するにつれ、人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため1916年に日本発の
鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には、約5,300人もの人々が住み、当時の東京の9倍の人口密度まで達しました。
エネルギー革命により、エネルギーが石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山した後は
同年4月に無人島になりました。

軍艦島上陸周遊ツアー

軍艦島上陸周遊ツアーには、軍艦島コンシェルジュ、高島海上交通グループ、やまさ海運株式会社、株式会社シーマン協会
第7ゑびす丸の5社が催行しています。
私は、軍艦島コンシェルジュ(株式会社ユニバーサルワーカーズ)のツアーに参加したのでこちらを記載します。

時間 受付:(午前中)9:00~ 出航:10:30 (午後)12:50~ 出航:13:40
定休日 無休
料金(乗船料) (平日) 大人:4000円 中高生:3300円 小学生:2000円 未就学児:1000円
(特定日:土日祝日 / 春休み / GW / 夏休み / 冬休み)
大人:4500円 中高生:3800円 小学生:2500円 未就学児:1500円
料金(上陸料) 大人・中高生:310円 小学生:150円 未就学児:無料
公式URL <公式>軍艦島コンシェルジュ (gunkanjima-concierge.com)

軍艦島コンシェルジュの乗り場所です。

下記がチケットです。

軍艦島コンシェルジュでは搭乗記念のカードがもらえ、裏にスタンプがあり、3回搭乗する1回無料になるそうです。


世界遺産である「軍艦島」は、鉄筋コンクリートは、雨風で浸食され保存が非常に難しい遺産です。
きちんとした保存ができればいいですね。

最盛期の1960年には狭い島内に5267人もの人々が暮らしており、東京の9倍という脅威の人口密度で
当時は、世界一だったそうです。

島の全体図は、下記の通りで、建物は、1号棟から71号棟まであります。

こちらは、パンフレットから抜き出した全体の平面図です。

(建物一覧表)

建物名 建築年代 構造・階数 建設用途 建物名 建築年代 構造・階数 建設用途
1号 1936年 木造1階 神社 30号 1916年 RC造7階 旧鉱員社宅
2号 1950年 RC造3階 職員社宅 31号 1957年 RC造6階 地下共同浴場・郵便局
3号 1959年 RC造4階 職員社宅(幹部用) 39号 1964年 RC造3階 公民館
5号 1950年 木造2階 長社宅 48号 1955年 RC造5階 鉱員社宅(パチンコ店)
6号 1936年 木造2階 職員単身寮 50号 1927年 鉄骨2階 映画館(昭和館)
7号 1953年 木造2階 職員クラブハウス 51号 1961年 RC造8階 鉱員社宅
8号 1919年 RC・木造3階 共同浴場・職員社宅 56号 1939年 RC造3階 職員社宅
12号 1925年 木造3階 職員社宅 57号 1939年 RC造4階 商店(1階)・職員社宅
13号 1967年 RC造4階 町営住宅(教職員) 59号 1953年 RC造5階 地下購買会・鉱員社宅
14号 1941年 RC造5階 職員社宅(中央住宅) 60号 1953年 RC造5階 地下購買会・鉱員社宅
16号 1918年 RC造9階 鉱員社宅(日給社宅) 61号 1953年 RC造5階 共同浴場・鉱員社宅
17号 1918年 RC造9階 65号 1945年 RC造9階 鉱員社宅
18号 1918年 RC造9階 1949年 RC造10階 鉱員社宅・屋上幼稚園
19号 1922年 RC造9階 1958年 鉱員社宅
20号 1922年 RC造7階 66号 1940年 RC造4階 鉱員合宿(啓明寮)
21号 1954年 RC造5階 警察派出所・鉱員社宅 67号 1950年 RC造4階 鉱員合宿(単身寮)
22号 1953年 RC造5階 老人クラブ・役場 68号 1958年 RC造2階 隔離病棟
23号 1921年 木造2階 社宅1階・寺院2階 70号 1958年 RC造7階 端島小中学校
25号 1931年 RC造5階 宿泊所・職員社宅 71号 1970年 RC造2階 体育館
26号 1966年 プレハブ2階 下請従業員住宅
ドルフィン桟橋

船はここに乗り入れします。

天川の護岸

明治期に、島の拡張に伴う護岸づくりは、石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接薬剤を用いた石積み工法により
盛んに行われました。この擁壁は、現在でも島内のいたる所に残っており、端島独特の風景を醸し出しています。

総合事務所

鉱山の中枢であったレンガ造りの建物で、常時、70~80人の職員が常駐していたそうです。
総合事務所の中には共同浴場があったそうです。

30号棟・31号棟アパート

1916年(大正5年)に建てられた30号アパートは、最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートと言われています。
鉱員社宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には、売店がありました。
31号棟は、鉱員社宅には、地階に一般用の共同浴場があり、1階には、郵便局や理髪店も設置されていました。

貯炭ベルトコンベアー

精炭は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込んていました。
今は、支柱のみが残っています。

端島神社

危険と隣り合わせの鉱員たちの安全を守ってきた、神社は、毎年4月3日の山神祭は、全島を挙げて盛大に行われていたそうです。

第二竪坑坑口桟橋跡

主力抗だった第二竪坑を含め、鉱山施設は、現在ほとんどが崩壊しており、かろうじて第二竪坑へ行くための桟橋への昇降階段
部分が残っています。

端島小中学校

1893年(明治26年)三菱社立の尋常小学校が岩礁の上に設立されましたが、1921年(大正10年)に町立となり
校舎は、現在の地に移されました。1953年(昭和33年)に建設された現在の建物は、1階から4階までは、小学校で5階と7階が
中学校、6階には、講堂、図書館、音楽室、7階には理科室などの特別室が設けられていたそうです。
1970年(昭和45年)には、体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベータも設置されていたそうです。

軍艦島の風景

近代化を進めてきた日本を象徴し、1960年代世界一の人口を誇った軍艦島。
今後、保全ができなければやがて滅びゆく世界遺産かもしれません。

ここだけは、早めに見に行った方がいい世界遺産ですね。


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