平安時代末期から鎌倉時代になるまでの貴族から武士への時代の転換期に、栄えた奥州。
源義経の伝説や松尾芭蕉の奥の細道の舞台にもなった東北地方の有名な観光スポットです。
奥州藤原氏の初代清衡によって建立された中尊寺は、平安時代の浄土教建築として有名で、世界遺産にも登録されています。
平泉 ─仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群─
2011年 ユネスコ無形文化遺産に登録
平泉は、12世紀日本の本州北部において、仏教に基づく理想世界の実現を目指して造営された政治・行政上の拠点であり、
仏堂・浄土庭園をはじめとする構成資産は、6世紀から12世紀の間に中国大陸から日本列島の最東端へと伝わる過程で日本に
固有の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、その中でも特に末法の世が近づくにつれ
興隆した阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の空間的な表現を目的
として創造された独特の事例であると評価されています。
それは、浄土思想を含む仏教の伝来・普及に伴い、寺院における建築・庭園の発展に重要な影響を与えた価値観の交流を示しており、
地上に残っているものだけでなく、地下に残る遺跡も含め、建築・庭園の分野における人類の歴史の重要な段階を示す傑出した類型です。
さらに、そのような建築・庭園を創造する源泉となり、現世と来世に基づく死生観を育んだ浄土思想は、今日における平泉の宗教儀礼や民俗芸能にも確実に継承されています。
登録資産
- 中尊寺
中尊寺金色堂(国宝・重要文化財)、金色堂覆堂(重要文化財)、中尊寺経蔵(重要文化財)、中尊寺境内(特別史跡) - 毛越寺
毛越寺境内附鎮守社跡(特別史跡)、毛越寺庭園(特別名勝) - 観自在王院跡
旧観自在王院庭園(名勝)、毛越寺境内附鎮守社跡(特別史跡) - 無量光院跡
無量光院跡(特別史跡) - 金鶏山
金鶏山(史跡)
中尊寺
住所:〒029-4195 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
営業時間 |
|
料金 | 大人:1000円・高校生:700円・中学生:500円・小学生:300円 |
定休日 | 無休 |
公式URL | 【公式】関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山] (chusonji.or.jp) |
電子マネーで購入した場合は、下記のチケットになります。
中尊寺自体に、入場料は発生しませんが、金色堂と讃衡蔵のみ料金が、発生します。
ちなみに、チケット売り場は、讃衡蔵にあります。
金色堂の入口で、チケットを見せて入場します。
ここでは、チケットは販売していないので注意してください。
中尊寺境内案内図
中尊寺は、大きな寺院で構成されています。
案内図にそって紹介していきます。
月見坂
中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の
表参道として利用されてきました。
弁慶堂
弁慶堂は文政10年(1827)の建立で、ご本尊は勝軍地蔵で、古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木像を安置し、
明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。
堂内の格天井には60種余りの草花が描かれています。
地蔵堂
1877年の再建で、本尊は地蔵菩薩。また隣に建つ祠には道祖神が祀られています。
峯薬師堂
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。讃衡蔵に安置されている丈六の
薬師如来はもとはこの堂の本尊でした。
堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。
不動堂
本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を
祈願し新調されました。
大月堂
1802年の再建で、本尊は金剛界大日如来。
前庭に建つ石造の宝篋印塔は1823年に造立されました。
旧鐘楼
康永二年(1343)、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘で、撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み
、今この鐘が撞かれることはめったにないそうです。
銘文には建武四年(1337)、山内の堂塔が火災により焼失した旨を刻し、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重な資料となっています。
阿弥陀堂
弁財天堂
本尊の弁財天十五童子は仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。
また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。
中尊寺金色堂(国宝・重要文化財)
中尊寺の法要儀式の多くが行われている根本道場です。
堂内には、日本の天台宗開祖伝教大師最澄が1200年前に灯した「不滅の法灯」が護持されています。
中尊寺境内(特別史跡)
金色堂覆堂(重要文化財)
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。
堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です。
4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術
を結集しています。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と
四代泰衡の首級が安置されています。
金色堂は、撮影できませんですが、讃衡蔵に写真があるのでそれをのせています。
中尊寺経蔵(重要文化財)
「中尊寺建立供養願文」によると、当初は「2階瓦葺」でした。建武4年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられていますが、
おそらくは古材をもって再建されたものらしい。
ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、
新たな騎師文殊菩薩が安置されています。(重文)
讃衡蔵
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。
平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。
旧覆堂
「鞘」の字には「大切なものを保護するためにかぶせたり、覆ったりするもの」という意味があるからです。
松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、
薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝したわけです。
金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
釈迦堂
1719年の再建で本尊は釈迦三尊様です。正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。
白山神社
中尊寺の北方を鎮守(ちんじゅ)するため、850年に中尊寺を開いた慈覚大師円仁がこの地に勧請したと伝えられています。
能楽殿
古来、卯月初午の日に催行された中尊寺鎮守・白山神社の祭礼では、中尊寺一山の僧侶によって「古実舞(古実式三番)」と「御神事能」が神前に奉納されてきました。現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。
この能舞台は嘉永六年(1853)、伊達藩によって再建されたもので、正統かつ本格的な規模と形式の能舞台として、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。
松尾芭蕉の足跡
松尾芭蕉が、「五月雨の降のこしてや光堂」という句を金色堂を見て詠みました。
そして、この句碑は、57年後の1746年にこの建てられたそうです。
奥州藤原氏の繁栄を見ることが出来る金色堂。
圧巻の造形美と黄金に輝く仏像群は魅了されます。
時間をゆっくりかけながら散策してみててください。
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