ウズベキスタンを代表する歴史都市、サマルカンド。
この町は、古代よりシルクロードの要衝として栄え、
14〜15世紀のティムール帝国時代に最盛期を迎えた、中央アジア屈指の文化都市です。
現在のサマルカンドは、歴史的背景の異なる 3つのエリア に分けて理解すると、
街の成り立ちと見どころが非常に分かりやすくなります。
- サマルカンドの3つのエリア構成
- サマルカンド‐文化交差路(Samarkand – Crossroad of Cultures)
- シャーヒ・ズィンダ廟群(Shohi zinda)
- ダルヴォザハナ(Darvazakhana Gate)(1434〜1435年)
- 天国の階段(Stairway to Heaven)
- カズィザデ・ルミ廟(Mausoleum of Qazi Zadeh Rumi)(1420年代)
- トゥグルテキン廟(Tugluq Tekin Mausoleum)(1375年)
- アミールゾダ廟(Amir Zadeh Mausoleum)(1336年)
- シリンベク・アカ廟(Shirin Bika Aqa Mausoleum)(1385年)
- シャーディムルク・アカ廟(Shadi Mulk Aqa Mausoleum)(1372年)
- アミール・ブルンドゥク廟(Amir Burunduk Mausoleum)(1390~1420年代)
- クサム・イブン・アッバース廟(Qusam ibn Abbas Mausoleum)(11~15世紀)
- トゥマン・アカ廟(Tuman Aqa Mausoleum)(1404年)
- フッジャ・アフマッド廟(Khoja Ahmad Mausoleum)(1350年)
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- シャーヒ・ズィンダ廟群(Shohi zinda)
サマルカンドの3つのエリア構成
① 旧市街エリア(レギスタン広場周辺)
サマルカンド観光の中心。
レギスタン広場を核として、モスクやメドレセ、霊廟が密集しています。
ティムール帝国期の壮麗な建築群が集中する、世界遺産の核心エリアです。
▶︎ レギスタン広場完全ガイド|ティムール帝国の象徴的建築群
https://weekend-abroad-travelers.com/asia-oceania/uzbekistan/samarkand-sightseeing/samarkand-crossroad-of-cultures/
② 新市街エリア(ロシア帝政時代)
19世紀以降、ロシア帝国〜ソ連時代に整備された街並み。
広い道路と公園、官庁建築が並び、旧市街とは異なる雰囲気を持ちます。
③ アフラシャブの丘エリア
チンギス・ハーンの侵攻(1220年)以前、
古代マラカンダの中心だった場所。
破壊された都市の痕跡が、丘として今も残されています。
繁栄の象徴であるレギスタン広場とは対照的に、
「滅びの記憶」を伝える重要な遺跡エリア です。
▶︎ アフラシャブの丘と博物館|破壊された古代都市マラカンダ
https://weekend-abroad-travelers.com/asia-oceania/uzbekistan/samarkand-sightseeing/ulughbeks-observatory/
ティムール帝国時代に築かれた数々の巨大建築は、
中国陶磁器の技法 × ペルシャの顔料 が融合して生まれた
深い青――「サマルカンドブルー」で彩られ、
現在は ユネスコ世界文化遺産 に登録されています。
サマルカンド‐文化交差路(Samarkand – Crossroad of Cultures)
2001年 ユネスコ文化遺産に登録
サマルカンド(古代マラカンダ)は、シルクロードの重要なオアシス都市として、古くから交易により
発展してきた町です。
1220年、チンギス・ハーンが率いるモンゴル軍に襲われて一度壊滅したが、150年後の1370年、中央アジアの遊牧民から
興ったティムール帝国の誕生とともに、その首都として華やかに再生しました。
太守ティムール(1336~1405年)は、サマルカンドに世界各地から、学者や芸術家、建築家、職人などを集め、壮麗な
モスクやメドレセ(神学校)をつぎつぎと建設し、美術、文学、天文学なども盛んになりました。
14~15世紀の中央アジアにおけるイスラム文化の粋が、この都市に集結しました。
16世紀初頭、ティムール帝国の崩壊とともに、町は、衰退したが「サマルカンドブルー」と呼ばれる青色に彩られた数々の建造物
が、当時の繁栄を今に伝えています。
なお、北東にあるアフラシャブの丘には、1220年に破壊された町が廃墟として残っています。
シャーヒ・ズィンダ廟群(Shohi zinda)
住所:MX7Q+257, M-37, Samarkand, Samarqand Region, ウズベキスタン
| 時間 | 7:00~19:00 (冬季:8:00) |
| 定休日 | 無休 |
| 料金 | 400,000スム |
アフラシャブの丘の南麓に位置する、サマルカンド有数の聖地。
ティムール一族や側近たちの霊廟が、一本の通路に沿ってほぼ一直線に並んでいます。
「シャーヒ・ズィンダ」とは 「生ける王」 を意味し、
7世紀のアラブ侵攻時に生まれた伝説に由来します。
預言者ムハンマドの従兄 クサム・イブン・アッバース がこの地で殉教し、
首を抱えたまま井戸に消え、永遠の生命を得た――
という伝説から、ここは特別な聖地とされてきました。
ダルヴォザハナ(Darvazakhana Gate)(1434〜1435年)
ティムール朝第4代君主であり天文学者でもあった ウルグ・ベク の命により建設。
星型のモザイク文様が印象的な、廟群の入口を飾る門です。

天国の階段(Stairway to Heaven)
この階段を数えながら上り、帰りも同じ段数で下りられれば、
天国へ行けるという言い伝えがあります。


カズィザデ・ルミ廟(Mausoleum of Qazi Zadeh Rumi)(1420年代)
ウルグ・ベクの天文学の師、カズィザデ・ルミを祀る廟。
「天国の階段」の途中に位置し、双ドーム(2つのドーム)を持つ独特の外観が特徴です。
星型や幾何学文様のタイル装飾は、
学問と宇宙観を重んじたウルグ・ベク時代の精神を象徴しています。
シャーヒ・ズィンダの中でも、知の都サマルカンドらしさを感じられる一基です。

トゥグルテキン廟(Tugluq Tekin Mausoleum)(1375年)
シャーヒ・ズィンダ初期層を代表する、比較的古い霊廟。
階段を上がって間もない位置にあり、廟群の歴史を読み解く起点となる存在です。
後期の廟と比べると装飾は控えめで、
タイルの色調や釉薬の質感から、時代の違いがはっきりと分かります。
ここから先、廟群が徐々に華やかになっていく流れを意識すると、見学がより楽しくなります。

アミールゾダ廟(Amir Zadeh Mausoleum)(1336年)
廟群の中でも特に古い部類に属する霊廟のひとつ。
規模は小さく、装飾も比較的簡素ですが、
シャーヒ・ズィンダが形成され始めた頃の雰囲気を今に伝えています。
周囲の華やかな廟と見比べることで、
装飾技術がどのように発展していったのかを実感できる重要な存在です。


シリンベク・アカ廟(Shirin Bika Aqa Mausoleum)(1385年)
蔦のように絡み合うアラビア語文様と植物文様が印象的な霊廟。
青タイルの濃淡が非常に美しく、
光の当たり方によって表情が大きく変わります。
シャーヒ・ズィンダの中でも人気が高く、
装飾美そのものを楽しみたい人に最適な一基です。
入口周辺の文様は、ぜひ近くで観察したいポイント。


シャーディムルク・アカ廟(Shadi Mulk Aqa Mausoleum)(1372年)
「宝石箱」と称される、シャーヒ・ズィンダ廟群のハイライト。
青タイルの量と密度、装飾の完成度、保存状態の良さが際立っています。
天井装飾は、まるで天界を表現したかのような美しさで、
自然と見上げてしまう空間。
多くのガイドブックで「最も美しい廟」と紹介されるのも納得の一基です。


アミール・ブルンドゥク廟(Amir Burunduk Mausoleum)(1390~1420年代)
計画どおりに完成しなかったとされる霊廟。
完成された廟と比べると、装飾の密度や仕上がりに差があり、
建設途中の様子を想像できる点が特徴です。
同じ青系タイルでも貼り方や面の処理が異なり、
ティムール朝の大規模建築事業の現実を感じさせてくれます。



クサム・イブン・アッバース廟(Qusam ibn Abbas Mausoleum)(11~15世紀)
シャーヒ・ズィンダ廟群の最奥部に位置する、聖地の核心。
預言者ムハンマドの従兄とされるクサム・イブン・アッバースが祀られています。
7世紀に殉教し、「生ける王(シャーヒ・ズィンダ)」となったという伝説から、
この場所は特別な信仰の対象となりました。
1220年のモンゴル侵攻でも破壊を免れ、
11世紀の礼拝所を起点に、15世紀まで増改築が重ねられています。
最奥の扉は 「楽園のドア」 と呼ばれ、
この廟に三度詣でるとメッカ巡礼と同じ功徳があると信じられています。
内部には、青いタイルのミフラーブを備えた礼拝空間と、
透かし彫りの格子越しに拝める、七宝タイルで装飾された4段重ねの墓石が残ります。
レギスタン広場が帝国の栄華を象徴する場であるのに対し、
ここは サマルカンドの信仰と精神文化を象徴する場所 です。


トゥマン・アカ廟(Tuman Aqa Mausoleum)(1404年)
ティムールが寵愛した妻トゥマン・アカを祀ったとされる霊廟。
ティムール最晩年に建てられたと考えられ、
廟群の中では比較的新しい時代に属します。
壁面下部に用いられた深みのある緑色のタイルが印象的で、
青を基調とする他の廟との対比が美しい一基。
ティムール朝後期の成熟した美意識を感じられます。



フッジャ・アフマッド廟(Khoja Ahmad Mausoleum)(1350年)
通路突き当たりに位置する、ここでは2番目に古い霊廟。
この廟の建築様式が、後に続く廟群の原型になったと考えられています。




入口前に残る浴場跡からは、
この場所が単なる墓所ではなく、
巡礼者のための宗教空間として機能していたことがうかがえます。

レギスタン広場が、ティムール帝国の栄華と権力を象徴する場所だとすれば、
シャーヒ・ズィンダ廟群は、信仰と死生観、そして再生の物語が刻まれた場所です。
14〜15世紀に築かれた数々の霊廟は、
王や将軍の名を残すためだけに存在しているのではありません。
そこには、イスラーム信仰、王権の正統性、そして永遠への祈りが重なり合っています。
一本道に連なる廟群を歩くことで、
サマルカンドが単なる「美しい世界遺産都市」ではなく、
破壊と再生を繰り返しながら、精神文化を育んできた都であったことが見えてきます。
ここを訪れずして、サマルカンドは語れません。
シャーヒ・ズィンダは、この街の記憶そのものです。


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