日本の古の都・平城京があった奈良。
仏教色が強く,盛唐文化の影響が見られる国際色豊かな文化を見ることができる奈良には
世界遺産に登録された寺院などたくさん見ることができます。
今回は、そんな世界遺産の中心である東大寺を紹介します。
古都奈良の文化財
1998年 ユネスコ無形文化遺産に登録
古都奈良は、710年(和銅3)から74年間、平城京として古代日本の政治・経済・文化の中心となり
万葉集でも「あおによし奈良の都の咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と読まれたようにとても栄えた都でした。
都市は、唐の長安にならった都市計画に基づき、道路、宮殿、寺院などがつくられ、古代律令国家が確立した地でもあります。
- 東大寺
- 興福寺
- 春日大社
- 春日原始林
- 平城京跡
- 元興寺(極楽坊)
- 唐招提寺
- 薬師寺
東大寺
住所:〒630-8211 奈良県奈良市雑司町4061-1
基本情報
時間 | 大仏殿 |
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法華堂(三月堂)・戒壇院千手堂 |
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東大寺ミュージアム |
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定休日 | 無休 | |
料金 | 大人(中高生含む):600円 小学生:300円 | |
公式URL | 華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ (todaiji.or.jp) |
平城京の東端に位置する東大寺の前身は、728年(神亀5)に建立さてた金鐘山寺と言われており、
741年(天平13)の国分寺建立の詔により、総国分寺となりました。
743年に廬舎那仏造顕の詔が発せられ、東大寺(平城京の東にある大寺)と呼ばれるようになりました。
その後、2度の焼失にあい、金堂(大仏殿)が現在の姿に再興されたのは、江戸時代になってからです。
再建された金堂は、創建当時より縮小されたものの、現存する木造建造物で世界最大規模を誇っています。
東大寺配置図
東大寺HPより参照
大仏殿
創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱としました。そのため、創建時に11間86mあったが7間(57m)となった。
現存の大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルであり、高さと奥行は創建当時と
ほぼ同じだが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっています。
毎年、大晦日から元旦に正面唐破風下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができます。
東大寺廬舎那仏像
東大寺大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願され、実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始し、
天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施された。 のべ260万人が工事に関わったとされています。
現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、基壇の周囲70メートルで、頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修であるが、
台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部建立当時の天平時代の部分も残っています。
台座の蓮弁(蓮の花弁)に線刻された、華厳経の世界観を表す画像も、天平時代の造形遺品として貴重です。
大仏が建立された背景には、聖武天皇が位に付いていた8世紀前半、天然痘(疫病)の大流行し旱魃・飢饉が続き、
天平6年(734年)には大地震で大きな被害があり、国分寺建立の詔の出る前年の天平12年(740年)には九州で
藤原広嗣の乱が発生するなど、社会不安にさらされた時代であり、聖武による国分寺の建立、東大寺大仏の造立には、
こうした社会不安を取り除き、仏の力で国を安定させたいという願いが背景にあったものと言われています。
聖武天皇の国を安定させたい気持ちで制作された廬舎那仏像は、国じゅうの銅を溶かして大仏を造り、
山を削って大仏殿を造ると言っており、実際に大仏の原型制作と鋳造のためには大量の土を必要とし、
東大寺大仏殿は実際に山の尾根を削って造成されたものであり、まさに国の国家事業だったのですね。
奈良観光のハイライトと言っても過言ではありません。
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