1つの岩の上には、階段状のピラミッドの基底部が今も残っているが上部は失われている。
1つの岩の上には、階段状のピラミッドの基底部が今も残っているが上部は失われている。
ナバタイ族の都市であったペトラ。
ヨルダンの国土の8割が砂漠が広がり、そして、所々に点在する岩山。
そんな人を遠ざけるような大地に、ペトラの都が建設されました。
なぜ、こんな場所に都が出来たかというと、この地方は、かつては、アラビア半島を横断して地中海に至るルート上にあり、
ヨルダン高原から死海~アカバ方面のワディ・アカバに向かう場合、標高差があり、移動が困難であった。
そんな中、ペトラは、ワディ・ムーサを源にした川があり、そこからワディ・アカバに向かって流れ落ちる入口でもありました。
そのため、隊商達にそのルートを通行させることで、繁栄した中継都市でした。
また、ペトラ遺跡は、新世界の7不思議に選ばれています。
世界の7不思議とは、旧世界の7不思議と新世界の7不思議があります。
新世界の7不思議は、スイスに本拠を置く「新世界7不思議財団」により2007年に選出されました。
新世界の7不思議は、下記になります
住所:Petra, The basin restaurant، Colonnaded St, Wadi Musa, ヨルダン
*1985年 ユネスコ文化遺産に登録
時間 | 夏期:6:00~18:00 冬期:6:00~16:00 ペトラバイ・ナイト:19:30~20:30 |
定休日 | 無休 |
料金 | 1DAY:50JD 2DAY:50JD 3DAY:60JD *ペトラ遺跡は、世界で一番高い入場料の遺跡と言われています。 |
公式URL | http://www.visitpetra.jo/Default.aspx |
*1JD=150円程度
下記がチケットです。私は、2DAYを購入しました。
ペトラは、ギリシャ語で「岩」を意味いているように、巨大な砂岩をくり抜いて作られており、
ナバタイ文化とギリシア文化の流れを組む中継都市として発展して行ったが、その廃墟となり
1812年スイス人探検家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトに発見されるまで、1000年近く忘れられた都となりました。
最近では、インディージョーンズ最後の聖戦のラストシーンで、エルハズネからシークを通るシーンがあまりにも有名ですね。
下の土産物屋の看板が印象的です。
この遺跡は、上部が、オベリスクの墓と言われ下部は、トリクリニウムの墓と呼ばれ上下の墓
は、別々のモニュメントとして造られた。
上部のオベリスクは、埋葬された死者を象徴しており、下部の表面は、トリクリニウムと呼ばれ、
死者のために饗宴の儀式が行われていたいらしい。
シークとは、狭い岩の裂け目のことをいい、岩の裂け目を1.5㎞も砂利道が続きます。
崖の高さは、60m~100mもあり迫力満点です。
シークの途中には、水源地から水を引いていた水路跡が見られます。
砂漠の国ヨルダンにとって水の確保が一番が大事になります。
雨が降ると岩山から流れた水が、シークに彫られた水路により集められ貯水槽まで流れる仕組みになっていました。
現在は、わかっているだけ5本の水路があり、貯水槽の数は、なんと200以上も存在したそうです。
年間200㎜しか降らないペトラにとって降った雨を残さず集め、それを町の外から数㎞も流れているなんて
昔の人の知恵はすごいですね。
最近の研究では、巨大なプールや噴水まであったそうで、なんともすごい!!
そして、下の写真が、古代ローマ時代のダムを復元したものです。
途中には、象に見える岩などがあります。
まだ、壁面にらくだが彫られています。
ここに動物の雄のライオンや牛など生贄が捧げられたそうです。
シークを歩き続けると岩の割れ目からエルカズネが見えた瞬間、かなりテンションがあがります。
エル・カズネは、崖を削り、彫りぬいて作られており、ファサードは、神殿みたいです。
高さは、43m、幅は、30mもあります。
眼前にこの景色が現れた時は、感動しました。
なんで、こんな場所にこんなところが。。
そして、インディージョーンズの曲が頭に流れていました。
宝物殿と呼ばれるその名前の由来は、建物の一番上に乗っている壷(左上)に宝物が隠されていると信じられていたからである。
エル・カズネは、ヘレニズムの建築の影響を受けていることが明らかで、ローマ時代に造られたのではないかと考えられている。
下の写真が壺です。