死海の西北部の岸から約1㎞の位置にあるクムラン遺跡。
ここに居を構えたクムラン人が、住み始めたのは、紀元前8世紀頃だと言われています。
この遺跡には、クムラン教団(エッセネ派)と呼ばれるユダヤ教の一派が生活をはじめ
禁欲的な宗教団体で、ユダヤ教の伝統や習慣を重んじた修道的な生活を行っており
教団の生活が見ることができます。
そして、この遺跡から発見されたのが、二十世紀最大の考古学的発見と呼ばれた「死海文書」
現在は、この巻物は、エルサレムのイスラエル博物館にある死海写本本館に展示されています。
住所:
時間 | 夏期:8:00~17:00(金・祝の前日~16:00) 冬期:8:00~16:00(金・祝の前日~15:00) |
定休日 | 無休 |
料金 | 29NIS |
下記がチケットです。
1947年頃に、ベドウィンのターミレ族の羊飼いムハンマド・エッ・ディーブとその従兄弟が、ヒルベト・クムランと
呼ばれる遺跡の近くの洞窟の中で、古代の巻物の入った壷を発見。
壺に納められた600を超える巻物には、イザヤ書全巻や詩編を含む旧約聖書や創世記外典などの外典文書、ユダヤ経典
のテキストなどが記されていました。
そして、古ヘブライ語とギリシャ語、アラム語で書かれた写本よりさらに1000年も昔の、紀元前2世紀のものと考えられ
1948年4月、トレヴァーとスケーニクによって、世界に「死海周辺で古代の写本発見」の第一報がもたらされた。
当時知られていた旧約聖書の最古の写本(レニングラード写本)を約1,000年さかのぼる写本の発見は古代における
旧約聖書の実情を示すものであり、イエス時代のユダヤ教の実態を知ることで、キリスト教誕生に関する
新事実がわかるのではないかという期待が生まれました。
その後、写本は、イスラエル政府によりよって25万USドル(現在の価値で200万ドル以上)で7つの写本が購入され
現在は、イスラエル博物館に所蔵されています。
死海文書が発見されたクムラン周辺の洞窟群には発見順に番号がつけられており、
第4洞窟と第7〜9洞窟はクムランに非常に近いが、第1、第3、第11洞窟はクムランから遠い場所にあります。
クムラン周辺には100以上の洞窟があるが、写本が発見された洞窟は全部で11です。
ここで、チケットを購入して移籍に、入ります。
博物館では、最初に7分程度の映像を見ます。
受付時に、言語を聞かれますので、日本語がないため、英語でお願いしました。
その後は、発掘物など遺跡にある施設を復元したものが展示されています。
遺跡の配置図です。
これを見ると、いかに水を大事にしていたかわかりますね。
下の写真が、第4洞窟で、ここからは膨大な量の断片が発見され、それらをつなぎあわせて600の巻物が
復元された。これは死海文書の実に4分の3にあたるそうです。
この洞窟で発見されました。
死海写本の発見の様子が、館内で再現されています。
死海写本のレプリカが展示されています。
本物は、イスラエル博物館に展示されています。
下記は、イスラエル博物館を紹介した記事です。
クムランへは、バスステーションから1本で行けます。
Jerusalem Central Bus Station 3rd Floor
⇓ バスNo.486 、487
Kibbutz Kalya Junction/Qumran
⇓ 徒歩450m
Qmuran
バス停は、こんな感じでポツンとあります。
クムラン遺跡は、エルサレムからマサダほど遠くないので、空き時間に行ってもよいし、マサダ帰りでも
1時間あれば充分に観光できますので、立ち寄ってみてください。
そして、クムラン遺跡の跡は、死海文書を見に、イスラエル博物館に立ち寄って歴史を感じてみてください。