ナポレオンが古代ローマの風習に習い、作らせたエトワール凱旋門。
ナポレオンは、後段で記述しますが、この前にカルーゼル凱旋門を建設していますが、高さが19mと
小さいことに不満を持ち、次に建設したエトワール凱旋門は、50mもあるフランスを象徴と
する凱旋門を建設させました。
ナポレオンが古代ローマの風習に習い、作らせたエトワール凱旋門。
ナポレオンは、後段で記述しますが、この前にカルーゼル凱旋門を建設していますが、高さが19mと
小さいことに不満を持ち、次に建設したエトワール凱旋門は、50mもあるフランスを象徴と
する凱旋門を建設させました。
住所:Place Charles de Gaulle, 75008 Paris, フランス
時間 | 10時~23時(10/1~3/31は22時30分までの営業) |
定休日 | 1/1(祝)、5/1(祝)、5/8(祝)午前、7/14(祝)午前、11/11(祝)午前、12/25(祝)は休み |
料金 | 大人(18歳以上):13€(約1700円) 子供:(18歳未満):無料 |
公式URL | Arc de triomphe (paris-arc-de-triomphe.fr) |
*1€(ユーロ)=130円相当
前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり
ルイ・フィリップの7月王政時代、30年もの歳月を費やし、1836年に完成しました。
建設中には、ナポレオンが失脚し、革命の後に、王位に就いたルイ・フィリップは、記念建造物が捧げられる対象は変更され、
崇拝の目的は革命軍と帝政の軍隊の栄光を称えるものとなりました。
ナポレオンは凱旋門が完成する前に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時だった。
その後、1885年のヴィクトル・ユーゴー国葬における遺体安置、あるいは1919年7月14日の第一次世界大戦の同盟国の
勝利のパレードなど、国家の歴史的な出来事を執り行う場所として使わてきました。
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓や多くの祈念のプレートが埋め込まれ、
フランスのために亡くなった兵士たちを祈念している。
下記が埋め込まれているプレー地です。
ian kelsallによるPixabayからの画像
凱旋門は、登ることができて、そこからは、シャンゼリゼ通りをはじめパリの風景を一望できます。
ちなみに、凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りをはじめとして12本の通りが放射状に延びており、
その形が地図上で光り輝く「星=エトワール」のように見えることから、この広場は以前は、
「星の広場(エトワール広場)」と呼ばれており、そのため、「エトワール広場の凱旋門」と呼ばれていました。
なお、この名称は現在では、「エトワール広場」という名称から「シャルル・ド・ゴール広場 」と変更されています。
Anton LovászによるPixabayからの画像
実は、パリには、凱旋門がもうひとつあり、カルーゼル凱旋門と呼ばれています。
こちらは、テュイルリー宮殿であった公園内のカルーゼル広場に位置し、1806年から1808年にかけて、
前年のナポレオンの勝利を祝するために最初に建設された凱旋門です。
この凱旋門は、1805年のイギリス、オーストリア、ロシアとの「ウルムの戦い」でオーストリアに、
「オステルリッツの戦い」でロシアとオーストリア連合軍に勝利しました。その遠征における勝利を記念して造られました。
建築は、ルーブル美術館の初代館長のドノンによるものです。
実は、こちらは、「パリのセーヌ川の河岸」という世界遺産の一部に含まれていますが、エトワール凱旋門は含まれてません。
エトワール凱旋門は、シャンゼリゼ通りの地下入口から地下道を通って近づけます。
螺旋階段を登るとエッフェル塔とは違う絶景が待っています。
ナポレオンになったつもりで凱旋門をくぐると当時の情景が思い浮かぶかもしれません。