Categories: ヒヴァの観光

太陽の国!! 世界遺産「イチャン・カラ」をの西門エリアを散策してみた。

ヒヴァは、首都タシケントの西約1000㎞、ホレムズ州にあり、州都のウルゲンチからは、南西に約35㎞のアムダリヤ川
下流のオアシスを中心に、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄しました。

ヒヴァの属するホレズムとは、「太陽の国」の意味で、その名の通り、年間300日は、雲ひとつないという過酷な土地で
人々は、昔からアムダリヤ川の流れに翻弄されていたらしいです。

ホレムズ随一のイスラムの聖都となったヒヴァの町は、外敵の侵入を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁で守られていました。
内側の城壁に囲まれた内城イチャン・カラには、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットをはじめとする数多くの
遺跡が残されており、1969年には、全体が「博物館都市」に指定され、1990年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

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イチャン・カラ(Itchan Kala)

1990年 ユネスコ無形文化遺産に登録

カラクム砂漠の出入口に位置するヒヴァは、シルクロードを行き来す旅のオアシスとして栄えてきた町です。
17世紀に、ヒバァ・ハーン国の首都が移されたことにより、政治、経済、宗教が移されたことにより、
政治、経済、宗教の中心として目覚ましく発展しました。
このヒヴァの町の二重の城壁に守られた内城をイチャン・カラ、外城をディシャン・カラといいます。
イチャン・カラは、南北650m、東西450mほどの長方形をした小さな区域で、高さ約10m、厚さ約6mの城壁に
囲まれています。
そこに、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレット、宮殿、廟などが建ち並んでいます。
18~19世紀の比較的新しい建築物が多いが、保存状態もよく、町全体が歴史的建造物の博物館の様相を呈しています。
中央アジア有数のイスラム建築として知られるジュマ・モスクや中央アジアで最大規模を誇ったムハンマド・アミン・ハーン
のメドセレなど小さな町に壮大な建築物が聳えています。
ヒヴァのシンボルと言える高さ45mのイスラム・ホジャのミナレットは、圧巻で、塔に登れば「中央アジアの真珠」と
称えれたヒヴァの街並みを一望できます。

イチャン・カラの共通入場チケット販売

イチャン・カラには、無料で入れる場所とチケットを見せて入る場所があります。
売り場は、西門の前付近に、チケット販売所があります。

時間 8:00~19:00
定休日 無休
料金(VIP) 大人:200,000スム

◆イチャンカラの地図

共通入場券で入れる13施設
  1. クフナ・アルク(Koʻhna Ark)
  2. ジンドン(Zindan)
  3. ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ(Muhammad Amin Inaq
  4. サイード・アロウディン廟
  5. カズイ・カランメドレセ(Kazi Kalyan)
  6. シェルガジ・ハーン・メドレセ(Shergazi Khana)
  7. イスラーム・ホジャ・メドレセ
  8. ジュマ・モスク
  9. アブデゥラ・ホン・メドレセ
  10. マトパナボイ・メドレセ(Matpana Baya)
  11. クルグ・ムロド・イノク・メドレセ(Kutlug Murad Inaq)
  12. タシュ・ハウリ宮殿(Tash Khovli
  13. サイード・モヒ・ロイジャノン廟

入場チケットは、下記です。

オタ・タルヴァサ(西門)(Ota darvoza)

住所:99H4+CRQ, Xiva, Xorazm Viloyati, ウズベキスタン

現在、イチャン・カラの正門のように使われています。
1920年に革命後の混乱で破壊されたが、1975年に修復されました。
門は、2基のミナレットのような塔で造られており、門をくぐる城壁内にチケット売り場やガイドの詰め所があります。
門の手前右の城壁前に、ヒヴァで生まれた科学者ムハンマド・アル・ホレムズ(783~850年)の像が置かれています。

カルタ・ミノル(Kalta Minor Minaret)

住所:99H4+CRQ, Xiva, Xorazm Viloyati, ウズベキスタン

西門を入ってすぐの所に立つ、青の彩釉タイル模様で覆われたムハンマド・アミン・ハン・メドレセ付属の
美しい未完成のミナレットで、1852年に着工しましたが、工事は、中断され現在にいたっています。
工事中断については、伝説が残っていて、ムハンマド・アミン・ハンが109mの高くて立派なミナレットを建て
、頂上から400㎞離れたブハラの町を見張ろうと考んがえていることを知ったブハラのハンが、塔の職人を買収して
工事を辞めさせたので、怒ったムハンマド・アミン・ハンが職人を殺したという。
だが、実際は、ムハンマド・アミン・ハンが1855年にペルシャとの戦いで死んだために中断されたらしい。
内部、頂上は、非公開です。

事実、基礎部の直径は、14.2mあるので、70mから80mの高さになっただろうが、26mで中断されたままになっています。
ちなみに、カルタは、「短い」という意味です。

ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ(Muhammad Amin Xon Madrasasi)

住所:99H4+6X8, Xiva, Xorazm Viloyati, ウズベキスタン

西門を入ってすぐ右側にあり、ムハンマド・アミン・ハンが、建設を命じ、1852年に完成した、中央アジアで最も
大きな規模の神学校で、最盛期には、99人の寄宿学生がいたと言われています。
神学校であるばかりでなく、イスラーム最高裁判所の事務局もありました。
広さは、71.7×60m、中庭の広さは、38×38mもあります。
中庭を取り巻く2階建ての建物には、125の部屋があり、ヒヴァでは、初めて神学生のために続いたふた部屋が与えらました。
正面入口や建物の前面は、タイルで装飾されており、内部は、宿泊者または、ガイド同伴の場合のみ可能です。

クフナ・アルク(Koʻhna Ark)

住所:99H5+P5R, Xiva, Xorazm Viloyati, ウズベキスタン

17世紀に建てられた「古い宮殿」という意味のハンの宮殿で、タシュ・ハウリ宮殿ができてから区別するためにこう呼ばれています。
城壁に囲まれ、中に執務のための公邸、くつろぎの間、モスク、ハーレムがあり、兵器庫、火薬工場造船所もありました。
この造船所では、絹のお札が作られた時もあったという。
1838年にアラクリ・ハンの命令で建てられた夏のモスクは、造船所のあった中庭にあり、青、緑、白の七宝タイルの
細かい模様で、装飾され、多くの柱で支えられています。
クリヌッシュ・ハンのアイヴァンは、最初17世紀建てられたが、ペルシャに破壊され、現在の建物は、19世紀の初めに
再建されました。

2本の高い柱のあるテラスで、壁面は、七宝タイルで覆われ、天井は、赤、黄、緑、黒などカラフルな模様で
飾られた玉座の間になっています。

中庭には、客が来たときにユルタ(移動式住居)を建てる円い土台が設けられています。
現存するハーレムは、19世紀に建て直されたもので、宮殿の北側にあります。
中庭は、62m×32.6mで、南側は、半の妻の部屋、北側が妾や召使の部屋になっていました。
また、この入口前の広場は、恐怖政治の舞台で、練兵所や処刑所でした。
城壁に沿って監獄が、建て増しされたりしました。

現在、入口付近には、シンドン(監獄)博物館があり、監獄の様子を再現した人形や当時の処刑の方法が描かれた
展示がされています。

ムハンマド・ラヒム・ハン・メドセレ(Muhammad Amin Xon Madrasasi)

住所:99H4+6X8, Xiva, Xorazm Viloyati, ウズベキスタン

1873年にロシアがヒヴァを吸収する直前の1871年に同名のハーンによって建設され、1876年までに完成しました。
メドレセは、中央の中庭を囲むように配置された2階建ての建物で、4つのイーワーンと76のフジュラがあります。
正面のファサードは専用の中庭に囲まれており、建物がクフナの箱舟に近接していることを考えています。

西向きのメインファサードは、中央に高いピシュタクタイプの門があり、2つの堂々としたグルダスタ(角の塔)に囲まれています。
全体のアンサンブルは、葉状のデザインと幾何学模様を特徴とするさまざまなガラス張りのマジョリカタイルで装飾されており
タイルは、カーンの生誕150周年にあたる1992年に修復されました。

現在、メドレセは、博物館になっています。

中の博物館は、こんな感じになっています。

蝋人形の館になっています。

ライトアップ(西門エリア)

ヒヴァの街並みは、ライトアップが綺麗で場所ごとにされています。

ヒヴァの街並みは、博物館と言われるだけに非常に美しい街並みです。
夜のライトアップも御勧めなので、旧市街に宿泊された場合は、夜の散策も御勧めします。



Wandering Traveler