聖なるブハラあるいは、サンスクリット語で「僧院」を意味するブハラは、中央アジアのみならず
イスラム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇りました。
ブハラの全盛期は、9世紀のサーマン朝時代に始まり、イスラーム王朝の庇護のもと、優秀な宗教者や科学者、
神学生そして商人なども各地からブハラに集まりました。
また、メルヴやサマルカンド、グルガンジ、ヘラートといったオアシス都市を結ぶ交易の十字路としても栄え
「ブハラの両替商のように目を見開いて」をいう比喩が今も残されています。
しかし、1220年のチンギスハーンの来襲で崩壊してしまいます。
16世紀のシャイバニ朝の時代になって、多くのモスクやメドレセが建設され、宗教的充実に多くの富が注がれ
再び蘇ることとなります。
シルクロードの面影を色濃く残すブハラの旧市街の街並みは、この頃に完成したそうです。
1993年 世界文化遺産に登録
ブハラは、サマルカンド同様、シルクロードのオアシス都市として古くから栄えたのちに、モンゴル軍の
襲撃を受け、一時壊滅し、ティムールによって復興した町です。
イスマイール・サマニ廟など、9~10世紀のサマニ朝時代の建造物が残っている点が、サマルカンドと異なります。
ブハラは、900年にサマニ朝の首都となり、イラン・イスラム文化の中心地として栄華を誇りました。
カラ・ハーン朝時代の1127年に建てられたカリヤン・ミナレット(大きな尖塔)も、チンギス・ハーンの破壊を免れました。
ティムールの庇護下で再生したブハラは、16世紀には、ウズベク人の支配下に入り、ブハラ・ハーン国の首都として繁栄しました。
町には、多数のメドレセが建設され、シルクロード有数の交易都市にふさわしく、交易所やキャラバンサライ(隊商隊)
公衆浴場なども整備されました。
19世紀に、ロシア帝国の支配化に入ったが、街並みは、そのまま保存され、現在に残っています。
住所:QCG8+PXH, Buxoro, Buxoro Viloyati, ウズベキスタン
時間 | 8:00~22:00 |
定休日 | 無休 |
ウルグベグは、真の教育施設にしたいと願ってサマルカンド、ブハラ、キジュドゥヴァンの3ヵ所に神学校を建てました。
このブハラの神学校は、15世紀の初めに建てられた(1418年創設、1585年修復)、現存する中央アジアで最古の神学校です。
各所に残る植物や星、幾何学模様の装飾は、当時の彩釉タイルによる豪華な装飾は、圧巻です。
ウルグベグのゆかりのものは、ブハラ市内ではここだけです。
中に入るとこんな感じです。
現在、修復中でした。
住所:QCG9+C37, Khodja Nurobobod Str., Buxoro, Buxoro Viloyati, ウズベキスタン
時間 | 8:00~22:00 |
定休日 | 無休 |
ウルグベク・メドレセが建てられてから200年以上後に、建てられた神学校です。
中庭を囲んで2階にアーケード状の部屋が造られ、夏の礼拝室、冬の礼拝室と創立者の廟があります。
装飾には、インドやオスマン・トルコ帝国からの影響が見られます。
住所:Kalyan Mosque, Po-i-Kalyan, Khodja Nurobobod St, Bukhara, Bukhara Region, ウズベキスタン
時間 |
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定休日 | 無休 |
料金 | 65,000スム 写真:30,000スム |
現在の建物は、1514年、シャイバニ朝時代に建てれらたものです。
名前が示すとおり非常に大きなモスクで、サマルカンドのビビハニム・モスクに匹敵しており、広さは、約1ha、
1万人の信者が礼拝できました。
ソ連時代には、倉庫となっていましたが、独立後、再び礼拝所として再建されました。
入口は、7ヵ所ありますが、東口が正面入口になっており、色タイルで装飾されています。
入ると正面に青いドームがそびえて、中庭は回廊で囲まれています。
廻廊は、208本の柱で天井を支え、288の丸屋根で覆われています。
カラーンとは、タジク語で「大きい」という意味です。
その名の通り、高さ約46m、ブハラで最も高く、町のどこからでも見えるブハラのシンボル的な存在です。
1127年に、カラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました。
塔の基底部の直径9m、土台部分が地下に10mもぐっています。
塔の上に行くにしたがって細くなる円筒状で、塔身の壁面を14層の帯状に分け、それぞれレンガを異なる
積み方で装飾しています。
灯火用窓の下の1層だけに青タイルが使われ、非常に独創的です。
灯火窓は、16のアーチ型に開いています。
ミナレットは、モスクの壁から少し離れて達、橋で結ばれています。
内部には105段のらせん階段があり、以前は、登ることができたそうです。
18~19世紀には、死刑場となり、袋に詰めた死刑囚を上から投げ落としていたので、「死の塔」と呼ばれていました。
なお、死刑は、1884年まで続いたそうです。
住所:Khakikat Str. 9, Buxoro, Buxoro Viloyati, ウズベキスタン
カラーン・モスクに面して建っており、巨大なアーチの両脇にふたつのドームをもっている神学校です。
青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた装飾は、末期ティムール様式の典型的な例です。
中庭を囲んで回廊があり、1階は、主に講義を行う部屋や図書室、食堂などの小部屋、2階が寄宿舎になっています。
多くの神学校のうち、ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた数少ない神学校です。
教育年限は、7年で、試験で選ばれた学生は、アラビア語、コーラン、イスラム法など仕組みを勉強しています。
このメドレセは、1536年にウバイドゥッラー・ハンの資金で建てられました。
ハンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金に充てられたそうです。
ブハラの夜は、カーラン・モスクエリアを中心にライトアップがされています。
まるで、アラビアンナイトの世界が広がっています。
ブハラの夜景の様子を動画でまとめてみました。
ブハラの中心的なエリアで、見どころも十分ですが、夜のライトアップは圧巻です。