日本は、明治に入り、急速な近代化を果たしております。
そんな足跡をたどることがある世界遺産は、日本各地に散らばっています。
特に、九州エリアが多く、その中でも長崎エリアが最も多く、有名な遺構もたくさんあります。
今回は、ご紹介するのは、産業革命遺産の中心である「軍艦島」を紹介します。
2015年 ユネスコ無形文化遺産に登録
明治日本の産業革命遺産は、構成資産は、岩手県から鹿児島県にまたがる次の8エリアに点在する幕末の1850年代から
明治末期の1910年までの23資産(*印は非公開)。
登録地域の面積は、構成資産 306.66ヘクタール、それを保護する緩衝地帯 2,408.33ヘクタール。
エリア1:萩
エリア2:鹿児島
エリア3:韮山
エリア4:釜石
エリア5:佐賀
エリア6:長崎
エリア7:三池(2)
エリア8:八幡(2)
長崎半島から西に約4.5㎞、三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱があった高島から南西に約2.5㎞、長崎港から南西に
約19㎞の沖合に位置する「端島」は、南北に約480m、南西に約160m、周囲約1200m、面積63,000㎡という小さな海底炭鉱の島
で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と
呼ばれるようになりました。
端島では、1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が採炭を行っていましたが、1890年に三菱合資会社の経営となり、本格的な海底炭鉱
として、操業が開始されました。出炭量が増加するにつれ、人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため1916年に日本発の
鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設され、最盛期には、約5,300人もの人々が住み、当時の東京の9倍の人口密度まで達しました。
エネルギー革命により、エネルギーが石炭から石油に移ったことで、出炭量も人口も徐々に減少し、1974年1月に閉山した後は
同年4月に無人島になりました。
軍艦島上陸周遊ツアーには、軍艦島コンシェルジュ、高島海上交通グループ、やまさ海運株式会社、株式会社シーマン協会
第7ゑびす丸の5社が催行しています。
私は、軍艦島コンシェルジュ(株式会社ユニバーサルワーカーズ)のツアーに参加したのでこちらを記載します。
時間 | 受付:(午前中)9:00~ 出航:10:30 (午後)12:50~ 出航:13:40 |
定休日 | 無休 |
料金(乗船料) | (平日) 大人:4000円 中高生:3300円 小学生:2000円 未就学児:1000円 |
(特定日:土日祝日 / 春休み / GW / 夏休み / 冬休み) 大人:4500円 中高生:3800円 小学生:2500円 未就学児:1500円 |
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料金(上陸料) | 大人・中高生:310円 小学生:150円 未就学児:無料 |
公式URL | <公式>軍艦島コンシェルジュ (gunkanjima-concierge.com) |
軍艦島コンシェルジュの乗り場所です。
下記がチケットです。
軍艦島コンシェルジュでは搭乗記念のカードがもらえ、裏にスタンプがあり、3回搭乗する1回無料になるそうです。
世界遺産である「軍艦島」は、鉄筋コンクリートは、雨風で浸食され保存が非常に難しい遺産です。
きちんとした保存ができればいいですね。
最盛期の1960年には狭い島内に5267人もの人々が暮らしており、東京の9倍という脅威の人口密度で
当時は、世界一だったそうです。
島の全体図は、下記の通りで、建物は、1号棟から71号棟まであります。
こちらは、パンフレットから抜き出した全体の平面図です。
(建物一覧表)
建物名 | 建築年代 | 構造・階数 | 建設用途 | 建物名 | 建築年代 | 構造・階数 | 建設用途 |
1号 | 1936年 | 木造1階 | 神社 | 30号 | 1916年 | RC造7階 | 旧鉱員社宅 |
2号 | 1950年 | RC造3階 | 職員社宅 | 31号 | 1957年 | RC造6階 | 地下共同浴場・郵便局 |
3号 | 1959年 | RC造4階 | 職員社宅(幹部用) | 39号 | 1964年 | RC造3階 | 公民館 |
5号 | 1950年 | 木造2階 | 砿長社宅 | 48号 | 1955年 | RC造5階 | 鉱員社宅(パチンコ店) |
6号 | 1936年 | 木造2階 | 職員単身寮 | 50号 | 1927年 | 鉄骨2階 | 映画館(昭和館) |
7号 | 1953年 | 木造2階 | 職員クラブハウス | 51号 | 1961年 | RC造8階 | 鉱員社宅 |
8号 | 1919年 | RC・木造3階 | 共同浴場・職員社宅 | 56号 | 1939年 | RC造3階 | 職員社宅 |
12号 | 1925年 | 木造3階 | 職員社宅 | 57号 | 1939年 | RC造4階 | 商店(1階)・職員社宅 |
13号 | 1967年 | RC造4階 | 町営住宅(教職員) | 59号 | 1953年 | RC造5階 | 地下購買会・鉱員社宅 |
14号 | 1941年 | RC造5階 | 職員社宅(中央住宅) | 60号 | 1953年 | RC造5階 | 地下購買会・鉱員社宅 |
16号 | 1918年 | RC造9階 | 鉱員社宅(日給社宅) | 61号 | 1953年 | RC造5階 | 共同浴場・鉱員社宅 |
17号 | 1918年 | RC造9階 | 65号 | 1945年 | RC造9階 | 鉱員社宅 | |
18号 | 1918年 | RC造9階 | 1949年 | RC造10階 | 鉱員社宅・屋上幼稚園 | ||
19号 | 1922年 | RC造9階 | 1958年 | 鉱員社宅 | |||
20号 | 1922年 | RC造7階 | 66号 | 1940年 | RC造4階 | 鉱員合宿(啓明寮) | |
21号 | 1954年 | RC造5階 | 警察派出所・鉱員社宅 | 67号 | 1950年 | RC造4階 | 鉱員合宿(単身寮) |
22号 | 1953年 | RC造5階 | 老人クラブ・役場 | 68号 | 1958年 | RC造2階 | 隔離病棟 |
23号 | 1921年 | 木造2階 | 社宅1階・寺院2階 | 70号 | 1958年 | RC造7階 | 端島小中学校 |
25号 | 1931年 | RC造5階 | 宿泊所・職員社宅 | 71号 | 1970年 | RC造2階 | 体育館 |
26号 | 1966年 | プレハブ2階 | 下請従業員住宅 |
船はここに乗り入れします。
明治期に、島の拡張に伴う護岸づくりは、石炭と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接薬剤を用いた石積み工法により
盛んに行われました。この擁壁は、現在でも島内のいたる所に残っており、端島独特の風景を醸し出しています。
鉱山の中枢であったレンガ造りの建物で、常時、70~80人の職員が常駐していたそうです。
総合事務所の中には共同浴場があったそうです。
1916年(大正5年)に建てられた30号アパートは、最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートと言われています。
鉱員社宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には、売店がありました。
31号棟は、鉱員社宅には、地階に一般用の共同浴場があり、1階には、郵便局や理髪店も設置されていました。
精炭は、このベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込んていました。
今は、支柱のみが残っています。
危険と隣り合わせの鉱員たちの安全を守ってきた、神社は、毎年4月3日の山神祭は、全島を挙げて盛大に行われていたそうです。
主力抗だった第二竪坑を含め、鉱山施設は、現在ほとんどが崩壊しており、かろうじて第二竪坑へ行くための桟橋への昇降階段
部分が残っています。
1893年(明治26年)三菱社立の尋常小学校が岩礁の上に設立されましたが、1921年(大正10年)に町立となり
校舎は、現在の地に移されました。1953年(昭和33年)に建設された現在の建物は、1階から4階までは、小学校で5階と7階が
中学校、6階には、講堂、図書館、音楽室、7階には理科室などの特別室が設けられていたそうです。
1970年(昭和45年)には、体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベータも設置されていたそうです。
軍艦島の風景
近代化を進めてきた日本を象徴し、1960年代世界一の人口を誇った軍艦島。
今後、保全ができなければやがて滅びゆく世界遺産かもしれません。
ここだけは、早めに見に行った方がいい世界遺産ですね。