日本の歴史の始まりである縄文時代は、日本列島における先史時代の中でも特に長い期間を占める文化で、
紀元前1万6000年頃から紀元前3000年頃まで、約1万3000年以上にわたり続いたとされています。
そんな縄文時代の中期(紀元前4000年~紀元前3000年頃)に、北海道や東北を中心に縄文文化が栄えたエリア
がありました。
今回、ご紹介する三内丸山遺跡は、世界遺産の一部の遺跡群であり、青森を代表する遺跡群です。
2021年 世界ユネスコ文化遺産
北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡の合計17遺跡で構成されており
また、関連する遺跡(関連資産)が北海道と青森県に1遺跡ずつあります。
上記:WIKIPEDIA参照
住所:〒038-0031 青森県青森市三内丸山305
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公式URL | 特別史跡「三内丸山遺跡」 |
下記がチケットです。
三内丸山遺跡は、平成4年(1992年)から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期
(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)の大規模な集落跡が見つかっています。
たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、
骨角製品などが出土しました
遺跡群は、あまり日差しや雨を遮る場所がないため、日焼け対策や雨の場合は、傘や雨具などの準備が必要です。
基本、復元遺跡を中心に遺構を見る形です。
見学モデルコースもあるので、それにそって記載します。
地面に掘られた穴の周囲に礫を孤状に並べた墓が約30基見つかっています。
このエリアでは、道に沿って墓が並んでいる様子が復元されています。
大量の土器や石器、土器やヒスイ製の玉などが土と一緒にすてられ、約1000年間で丘のようになりました。
ここでは発掘時の様子を見ることができます。
断層の中から見れる土器の破片が、非常に見やすく展示されています。
床は地面を掘り込んでつくりました。中央には炉があります。
これまでに550棟以上見つかりました。15棟を復元しています。
集落の中心に大型の建物が建てられており、これは、縄文時代前期のもので、長さ15mです。
地面に穴を掘り、柱を立てた建物跡です。遺跡中央部分でまとまって見つかりました。
高床式の建物と考え、復元しました
大人は、地面に掘られた墓に埋葬されました。墓は道路をはさんで向かい合うように配置され、約500基見つかっています。
この谷はゴミ捨て場でした。
水分が多く空気からもさえぎられていたので、木製品や漆器、動物や魚の骨、植物の種子などが残っていました。
たくさんの土器や石器が土と一緒にすてられた場所です。ここではこわれた土器が広がっている様子が見学できます。
子供は、土器に入れられて埋葬されました。穴を開けたり底を抜いた土器の中に握りこぶし大の丸い石が1~2個入れてあるものもあります。これまでに、800基以上見つかっています。
6本柱の長方形の建物と考えられます。柱穴は直径・深さとも約2mで、他の建物と比べて規模が大きく、
穴の間隔はすべて4.2mでした。中に直径約1mのクリの柱が残っていました。
大型掘立柱建物跡をもとに、高さ14.7mの建物として復元されたものです。用途としては神殿、
物見やぐら、モニュメントなどの説が唱えられています。
長さ10m以上の大きな竪穴住居跡が見つかりました。復元したのは縄文中期のもので、長さ32mです。
左は縄文前期のもので、長さ15mです。これらは集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などの説があります。
大型板状土偶や縄文ポジェット(編かご)などの重要文化財のほか、縄文人の生活を再現した展示をしています。
大量の土器が出土しています。
三内丸山遺跡を訪れる場合は、遠方の人は、新幹線や鉄道を利用して青森に来られる方も多いと思います。
「三内丸山遺跡」行き
青森駅前「⑥青森市営バス乗り場」から乗車、「三内丸山遺跡前」下車(310円)
青森駅西口「②番のりば」から乗車、「三内丸山遺跡前」下車(300円)
新青森駅東口3番乗り場から乗車、「三内丸山遺跡前」下車(300円)
青森にある世界遺産は、白神山地が有名ですが、北海道・北東北の縄文遺跡の対象となる遺跡が8ヵ所なります。
時間があれば全部回ってみたいですが、時間がなければ三内丸山遺跡だけ見ても十分だと思います。
ジョムティエンビーチを散策しな…