エルサレム旧市街の中のメインのひとつである聖墳墓教会は、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世は325年頃に、
キリストの磔刑の場所、ゴルゴタの丘に教会堂を建てることを命じたもので、
現在この教会は東方正教会(ギリシャ正教)、アルメニア使徒教会、カトリック教会、コプト正教会、シリア正教会の
複数教派による共同管理となっており、一日中それぞれ何らかの教派によるミサ・聖体礼儀などの公祈祷が行われている
などキリスト教の聖地になっています。
1981年 世界文化遺産に登録。(1981年の第1回臨時世界遺産委員会で世界遺産登録が決定)
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖都であり
紀元前1000年頃、古代イスラエル王国の第二代王ダビデが、エルサレムを首都と定めました。
息子のソロモン王は、ここに宮殿や神殿を建設し、栄華を極めたが、ソロモン王の死後、王国は
弱体化し、様々な権力者の支配を受け、破壊、再生を繰り返してきた。
ほぼ1㎞四方の旧市街は、16世紀のオスマン帝国時代に築かれた城壁で囲まれており、現在は
キリスト教徒区、アルメニア人地区、ユダヤ教徒地区の4つに大きく分かれており、決して
広くない街の中に、歴史的な宗教的な220の建築物が世界遺産に登録されています。
下は、エルサレム旧市街の地図です。
聖墳墓教会は、旧キリスト教区にあります。
住所:
時間 | 夏期:5:00~21:00 冬期:4:00~19:00 |
定休日 | 無休 |
料金 | 無料 |
イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたのはゴルゴダの丘。
ゴルゴダとは、しゃれこうべという意味を持ち、埋葬された丘の地形が丸い頭蓋骨の形に似ているからともアダムの骸骨が
埋葬されているからとも言われています。
裁判を受けたキリストが十字架を背負って歩き到着したゴルゴダの丘。
イエスが衣を脱がされた場所は、聖墳墓教会の入口横にある聖堂と言われています。
聖墳墓教会は、聖書上のできごとにちなんで礼拝堂がたくさんあり、各派が管理しています。
そのため異なった宗派の法衣や宗教行事、慣習をいっぺんに見ることができます。
そのため、各門の所有権を争っているために、毎朝入口の門を開けるのは、ムスリム(イスラム教徒)の少年の仕事になっています。
ゴルゴダの聖堂北側の階段を下りた所にある、畳ほどの大きさの赤い大理石板は、十字架から降ろされたイエスの聖骸に
香油(オリーブオイル)を塗ったとされています。
ここは、時間にはよっては、巡礼者で列をなしているので並ぶ必要があります。
この大理石の上に、キリストは寝かされそうです。
後ろの壁画は、十字架から降ろされ、大理石の石に寝かされる姿が描かれています。
イエスの十字架の建てられた場所で、入口の右にある急な階段を上がってところで、イエスが処刑された場所で
ヴィア・ドロローサの終点になっています。
この階段を登っていますが、時間によってはすごい行列になります。
2階部分にアーチが2つ見えますが、左側エリアは、ギリシャ正教で右側は、ローマカトリックの宗派で管理されています。
祭壇の下にあるこの銀の輪が十字架が刺さっていたとされる場所といわれています。
下には、丘の上であることがわかる岩をみることができます。
イエスの時代には、洞穴だったとされているが、現在は、エディクラ(祭壇)と呼ばれる建物に覆われており、
大理石の彫刻や美しいビロードの布がろうそくの光に照らしています。
石墓を覆う大理石です。
ここで皆さん祈りを捧げていました。
この地に最初に教会を建てたのは、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母エレナ。
彼女は、熱心なキリスト教徒で、326年に聖地を巡礼しベツレヘムの聖誕教会など多くの教会を建設しました。
現在の形は,1808年に大破し、後に再建されたものです。
ヘレナが4世紀に十字架を発見したとされる場所で、この場所を発掘することにより、キリストの墓と
十字架の破片を見つけたとされています。
ここには、アダムとイブのアダムの墓があります。
ただし、伝承ですが、アダムの髑髏が見つかった場所の真上は、キリストが磔にされた場所になるそうです。
ギリシャ正教における世界の中心地 聖墳墓教会。
早朝からのミサは必見です。
ここを訪問する場合は、早朝がベストだと思います。