3王朝(陳朝、胡朝、黎朝)の遺構が重なるタンロン遺跡を探索してみた。

ハノイの観光
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ハノイ市内の周辺には、ハロン市内から約70㎞離れた場所にある「ハロン湾」や同じく、南に約90㎞にある
「チャンアン」と周辺とは言え、かなり離れた場所にありますが、今回、ご紹介するタンロン皇城は、ハノイ市内
にあり、大変行きやすい場所にあります。

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ハノイ・タンロン王城遺跡中心地区

2010年 ユネスコ文化遺産に登録

ハノイの都心に位置するタンロン城は、7世紀に中国が築いた支配拠点の跡に、大越国の独立を機に、
1010年に李朝により創建されました。
紅河デルタの低湿地を埋め立てて形成された不整形な都城域の一角に、宮殿群が計画的に配置された。
以降、陳朝、胡朝、黎朝と王朝は交代するものの遷都は行われず、阮朝がフエに王宮の建設を開始する
1805年までタンロンは都であり続けました。
近年発掘された李・陳朝期の考古学的遺構と黎朝期以降の地上遺構を含む皇城中枢部の遺跡は、
東アジアと東南・南アジアからの影響がこの地で融合して形成された特有の文化を反映しています。

タンロン遺跡 (Central Sector of the Imperial Citadel of Thang Long)

住所:19C Hoàng Diệu, Điện Biên, Ba Đình, Hà Nội 100000 ベトナム

時間 8:00~17:00
定休日 無休
料金 30,000ドン(170円程度)

チケット販売所

タンロン遺跡のチケット販売所は、ベトナムの他の世界遺産と違いかなり立派に作られています。

ここで、チケットを購入します。

ゲートまでは、いろいろな展示物が展示されています。

世界遺産に登録されているタンロン遺跡ですが、まだまだ発掘調査段階で、一般公開されているのは「端門」、「敬天殿」、「後楼」、「正北門」の4カ所だけで、今後、発掘が進めばさらに見学できるエリアも増えていくと思います。

瑞門

第一城壁に配置され、黎朝時代に建設された正門です。
皇帝が禁城を通るための出入口として使用されていました。

城門の上から眺めると先に国旗掲揚塔が見えます。

瑞門の裏手には、発掘調査の跡があり、現場の一部では、地中深く何層ものレンガが積まれています。

敬天殿

龍の手すりの石段の上が皇帝の宮殿があったとされる場所で、李朝・陳朝の天安殿から改築されました。
建物自体は、近年に、建てられ発掘された土器などが展示されています。

正北門(バック門)

1805年のグエン朝時代に建てれ、第2壁で現存する唯一の門です。
門の上部には、フランス軍と戦った英雄ホアン・ジエウとグエン・チー・フォーが祀られています。

正面の左上下には、1882年、ホン河に停泊するフランス軍の艦艇から放たれた砲弾の跡が残っています。

後楼

キンティエン殿の楼閣として建てられ、王に仕えた側近たちに利用されていた場所です。
グエン王朝時代に建設され、フランス植民地時代に改築されました。
内部は登ることができます。

国旗掲揚塔

レンガ造りの八角形の塔は、ザーロン帝により、1805年~1812年にかけて建設されたもので、
3段の正方形の台座も含めて高さは、約33mあり、内部は、らせん状の階段で、展望室まであがることができます。
*国旗掲揚塔のみは、入場料無料。

展示室

こちらはフランス軍がかつて使用していた建物で、フランスによって旧ハノイ城占領後に建てられたものだそうです。
ここには、タンロン遺跡から発掘されたものなどが展示されています。

D67地下壕

ベトナム戦争時代に建てられたもので 、この場所が作戦司令部として利用されました。
地下約10mの「D67」と呼ばれる地下室は、旧ソ連時代の援助を受け原子力爆弾にも耐えられる設計であったそうです。
そして、17㎞先のハドンまで地下道が延びていたと言われています。

建物の中心にある会議室のテーブルの上には北ベトナムの首脳のネームカードが置かれています。
ホーチミンの後継者で南北統一後に初代初代ベトナム共産党中央委員会書記長となったレズアン氏を中心に、
ヴォー・グエン・ザップ将軍などの名前があります。

地下への地上へあがる階段です。

こちらは、地下10mにある会議室です。
当時は、ここで重要な会議が行われていたそうです。

D67地下壕の入口には、当時を彷彿させる車が置いてあります。

是から発掘が進んでいき、見学エリアも増えることもあるので、また、いつか行ってみたいそんな遺跡です。

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