1549年 カトリック教会修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルによる布教
が開始されてから、日本のキリスト教の歴史が始まりました。
長崎では1550年に平戸で布教が開始。1563年には大村純忠が受洗し、初のキリシタン大名となりました。
しかし、豊臣秀吉のバテレン追放令に続く江戸幕府の禁教令により、信徒たちは密かにその信仰を受け継ぐ
「潜伏キリシタン」として生きることを余儀なくされました。
信仰を隠しながら続けていくために、幕府の弾圧を逃れ、様々な信仰形態がそれぞれの集落ではぐくまれ、
独自の信仰のかたちにより、2世紀にわたって潜伏キリシタンの信仰が継承されました。
1873年、明治政府は、太政官布告第68号により、禁教の高札を取り除いた後、潜伏キリシタンはカトリックへ復帰する者、
禁教期の信仰形態を続ける者、神道や仏教へと改宗する者へとそれぞれ分かれましたが、カトリックに復帰した集落では
新たに素朴な教会堂が建てられていきました。
そして、今回は、潜伏キリシタンの「使途発見」の舞台である「大浦天主堂」をご紹介します。
2018年 ユネスコ無形文化遺産に登録
住所:〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5−3
時間 |
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定休日 | 教会行事により休館する場合があります |
時間 | 大人1000円/中高生400円/小学生300円 *拝観料は、大浦天主堂 キリシタン博物館の入館料を含みます。 |
公式URL | 国宝 大浦天主堂 (nagasaki-oura-church.jp) |
長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂である。江戸時代幕末の開国後、1864年(元治元年)に竣工した。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者聖堂。
もともとは、16世紀末に豊臣秀吉の命令で十字架にかけられ磔にされたカトリック信者たちに捧げられた教会です。
日本人にはいまだキリスト教の信仰が許されていなかった大浦天主堂の完成当初の1865年に、
浦上の潜伏キリシタンがフランス人神父に信仰の告白をしたという「信徒発見」の舞台になりました。
そして、2018年には潜伏キリシタン関連遺産の一つとして世界遺産にも登録されました。
1981年 ヨハネ・パウロ2世が、大浦天主堂を訪れたヨハネ・パウロ2世を記念した建てれた銅像。
台座には訓話の一節「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」という言葉が刻まれています。
弾圧を受けた潜伏キリシタンを知るうえで、重要な天主堂です。
長崎へ行ったおりには是非立ち寄ってみてください。