日本を代表する観光地。古都京都。
古くは、794年、桓武天皇によって平安京が誕生して以来、1000年以上もの間都として栄えた都市です。
東山・西山・北山など三方をを山に囲まれた美しい自然と数々の歴史的建造物が並んでいます。
1994年 ユネスコ文化遺産に登録
「古都京都の文化財」は、京都府京都市・宇治市・滋賀県大津市にまたがる17の寺社仏閣で構成されています。
国宝(建造物)や特別名勝(庭園)がある、または遺産の敷地全域が史跡などに指定されているなどで
遺産そのものの保護の状況に優れていること、時代・文化を代表する建立物であることなどを理由に選ばれました。
京都府京都市
京都府宇治市
滋賀県大津市
住所:〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
時間 | 5:00~17:00 |
定休日 | 無休 |
料金 |
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公式URL | 東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺 (toji.or.jp) |
下記がチケットです。
平安遷都に際し、国家鎮座の寺として796年に創建され、当時、都の入口である羅城門の東西に寺が建立されたが
西寺は焼失してしまい東寺のみ残りました。
高さ57mの五重塔は、現存する日本の木造塔のなかで最大の高さを誇る。
金堂は、東寺一山の本堂で延暦15年(796)創建されたと伝えられています。
文明18年(1486年)に焼失し、今の堂は、豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、
慶長8年(1603)に竣工しました。
天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的な建築ですが、
細部は、唐・和風の技術も巧みに取り入れています。
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長3年(826)弘法大師の創建着手に始まりますが
しばしば災火をうけ、焼失しており、その数は、4回にもなります。
現在の塔は、寛永21年(1644)に徳川家光の寄進により竣工した高さ55mの現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手手法は、純和様を守っており、初重内部の彩色も落ち着いて、江戸時代の初期の秀作です。
東寺の創建時にはなかった講堂は、天長2年(815年)に弘法大師により着工され、承和2年(835年)に完成しました。
その後、大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明18年(1481年)の土一揆による戦火で焼失しましたが
現在の講堂は、延徳3年(1491)に再建されたもので、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。
西院は、伽藍の西北部にあり、弘法大師の住房で、大師の念仏寺、国宝、不動明王像が安置され、不動堂とも呼ばれています。
康暦元年(1379)に焼失しましたが、その翌年には、国宝大師像を拝するための礼堂と廊を加え、現在の姿になりました。
堂内には、不動明王と大師信仰と大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心となっている御堂です。
入母屋造りの礼堂、切妻の中門、ゆるやかな勾配の総檜皮葦の屋根が優美さを際立たせています。
住所:〒605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294
時間 | 6:00~18:00 |
定休日 | 無休 |
料金 | 大人(高校生以上):400円 子供:200円 |
公式URL | 音羽山 清水寺 (kiyomizudera.or.jp) |
下記がチケットです。
夜の特別拝観券は下記です。
778年(宝亀9)、延鎮上人によって開山され、平安遷都後間もない789年(延喜17)に、坂上田村麻呂によって創建された。
「松風や音羽の滝の清水をむすぶ心はすずしかるらん」と坂上田村麻呂の詠んだ歌から清水寺と名付けれたそうです。
幾度か火災にあい、現在の本堂は、1633年(寛永10)に3代将軍徳川家光によって再建されたものです。
創建時の姿を伝えると見られる懸造りの本堂は、釘を使わず139本の巨大な柱と貫だけで支えれて断崖の上に建っています。
清水寺の正門で、1467~1477年の戦によって焼失しましたが、16世紀初めに再建され、2003年に解体修理されました。
幅約10m、奥行き約5m、棟高約14メm、再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。
現在の建物は1631年再建のもので、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観の聖所です。
高さ約31mで国内最大級の三重塔で、創建は847年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。
大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。
1718年の再建で、衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩を本尊としてお祀りしています。
寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理されました。平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が
集まる講堂として栄えました。それ以降は記録から消え、現在その一切経は伝来していません。堂内には釈迦三尊像をお祀りし、
鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。毎年2月15日の涅槃会は、ここで行われています。
音羽山の断崖に建つ清水寺の本堂。1633年再建の木造建築で、本尊の千手観音菩薩をお祀りしています。
日本古来の伝統工法による丈夫な構造となっています。
清水の舞台の下はこんな感じです。
江戸時代初期の1631年の再建され、浄土宗の開祖・法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所です。
本尊は阿弥陀如来。入母屋造り、桟瓦葺の建築様式です。
清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧で、流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、
清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。
聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝えられていますが詳しい創建年代は不明で、現在の建物は1500年に建立されたものです。
檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りしています。
住所:〒604-8301 京都府京都市中京区二条城町541
時間 | 8:45~16:00 |
定休日 | 年末 12月29日~31日 |
料金 | 大人:1030円 中高生:350円 小学生:200円 |
公式URL | ご利用案内 | 二条城 世界遺産・元離宮二条城 (kyoto.lg.jp) |
1603年(慶長8)に徳川家康の命により、京都の警護と将軍上洛の宿泊所として建てられたもので、現在の規模になったのは
3代将軍家光の時で、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3)に完成しました。
中核をなす二の丸御殿は、江戸時代初期の城郭書院造りの典型で、唯一現存する貴重な遺構で、建物内部には、狩野派による
多数の障壁画が描かれています。
1867年(慶応3)、15代将軍徳川慶喜がこの城で大政奉還を発表した歴史的ば場所です。
唐門は切妻造の四脚門で、堂々たる唐破風や極彩色の彫刻が特徴的で、同時代の唐門の中では国内最大級といわれており、
唐門は2013年に修復工事が完了しました。
檜皮葺の張替え、金箔貼りなおし、漆塗り替え、彫刻の彩色など全面的な修復されました。
二の丸御殿は、部屋数が33、約800畳の全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の
代表例として日本建築史上重要な遺構です。
内部は、日本絵画史上最大の画派である狩野派による障壁画と、多彩な欄間彫刻や飾金具によって装飾されており、
将軍の御殿にふさわしい豪華絢爛な空間となっています。
二条城の床を歩くと「キュッキュッ」と音がなります。
これは、鶯張りと言って、敵の侵入を素早く察知するために造られたもので、二条城と知恩院が有名です。
書院造庭園である二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われています。
後水尾天皇行幸当時の姿は、新たに増築された行幸御殿、中宮御殿、長局等に取り囲まれた中庭的な庭園としてつくられ、
池の中に御亭を建て、池の中央3つの島、4つの橋を併せ持ち、二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二の丸御殿黒書院上段の間(将軍の座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように江戸時代初期の有名な作庭家の小堀遠州により設計されたもので「三方正面の庭」とも言われています。
1788年(天明8年)の大火で焼失してしまったが、幕末には、15代将軍・徳川慶喜が御殿を建てましたが、
1881年(明治14年)頃に取壊されています。
現存する本丸御殿は、桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に
明治天皇の意向により移築したものです。
このエリアは、特に歴史を感じるエリアです。
個人的には、二条城は、265年の長い江戸時代を終わらせた大政奉還が行われた場所です。
当時の様子を再現した人形が並んでいたのが、大変印象的でした。