シオンの丘は、エルサレム旧市街の南西隅にあり、この丘には多数の墓地や教会が存在しており、
アルメニア人やユダヤ人が多く居住する地域です。
シオンとは、もともとは、ダビデの支配下に入ったエブス人の町として登場する地名だが、神殿の丘の別名となり、
のちにエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体への形容詞ともなりました。
現在は、ダビデ王の墓やキリストが最後の晩餐を過ごした場所など見どころも多いエリアです。
住所:
時間 | 夏期:8:00~21:00(金・祝日の前日~16:00) 冬期:8:00~17:00(金・祝日の前日~13:00) |
定休日 | 無休 |
料金 | 無料 |
シオン門から南へ徒歩3分ほど行った所にあり、シナゴークになっているホールを抜けて右へ進むと、
鉄柵で仕切られた墓石のある部屋があります。
石棺は、ダビデの星が刺繍されたビロードの布に覆われ、ダビデの継承者である22人の王を表す、
22シルバーの聖書を収めた経筒で装飾されています。
列王記上:2:10「かくてダビデは、その祖先とともに眠りて、ダビデの町に葬らる」
使徒言行録2:29「先祖ダビデは、死にて葬られ、その墓は、今日に至るまで我らのうちにあり」
と、聖書にもダビデの存在が明記されています。
住所:
時間 | 8:00~18:00 |
定休日 | 無休 |
料金 | 無料 |
ダビデ王の墓のある建物を出て、裏の階段を上った2階には、イエスが処刑される前の晩に弟子たちを集めて
「最後の晩餐」を行ったと言われる部屋があります。
下の写真の左側に入口があります。
「最後の晩餐の部屋」で行われたとされる儀式は、死を覚悟したイエス・キリストが祈りを捧げたのち、12人の弟子たちに
自らの死を予告してぶどう酒とパンを与え、ユダ・イスカリオテの裏切りを預言するという新約聖書の重要な場面です。
下の画像は、イタリアにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院にある有名な
レオナルド・ダヴィンチによる「最後の晩餐」の絵です。
こちらの絵画は、上野にある国立西洋美術館に飾れた「最後の晩餐」です。
この絵画は、キリストが12人使徒にパンと祝福を与える描写が描かれています。
この後、弟子の裏切りを予告します。左手に銀貨の袋をもっているのがユダです。
本家の入口は、ちょっとわかりづらいです。
ここから2階にあがっていきます。
現在の建物は、十字軍が建てたもので、入口の柱には、印章が刻まれています。
また、15世紀のオスマン朝時代には、イスラムの寺院としても使われていました。
当時の様子が、こんな感じだったみたいです。
中は、非常に殺風景で、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作に描かれた場所とはまったく違うが、
十字架を前に最後の訓話をした場所だとされています。
住所:
時間 | 9:00~12:00 12:45~17:00 |
定休日 | 無休 |
料金 | 無料 |
シオン門のすぐ南、尖塔がある建築物は、イエスの母マリアを祀っ1910年に建てられたもので、エルサレム最大の教会です。
地下聖堂に降りると桜の樹と象牙で造られた永眠するマリア像が横たわっています。
モザイクは、三位一体や12使徒、12宮などが描かれています。
シオン門から出てシオンエリアは、オリーブ山と違いかなり近い場所に観光名所があります。
私は、鶏鳴教会には行けませんでしたが、少しの時間に立ち寄るにはいい場所だと思います。