イエスがローマ帝国の総督のピトラの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、
十字架を背負ってゴルゴダの丘への道がヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼ばれています。
第一留のピラトの官邸からゴルゴタにある聖墳墓教会まで14留あります。
そして、金曜日には、フランシスコ修道士が、ヴィア・ドロローサの十字架を担ぎながら行進しています。
住所:
キリストば死刑判決を受けてから死刑になるまでの道のりです。
現在は、エル・オマリヤ・スクールの校庭になっていますが、ここのミナレットは、イエスが死刑の判決受けたアントニアの要塞
があったと言われるところにあります。
金曜日のフランシスコ派修道院の行進からここから始まります。
ここで、イエスは、十字架を背負わされた場所で、さらに、茨の王冠をかぶらされ、ローマ軍の兵士たちにより鞭で打たれました。
教会内にあるステンドグラスには、この時の様子が描かれています。
イエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまづいた場所。
ポーランドのカトリック騎士団が小聖堂を建て、現在は、アルメニア・カトリック教会の所属になっています。
マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。
アルメニア人が建てた苦悩のマリア教会があり、教会の入口にはその様子が描かれています。
教会の地下から見つかったビザンツ時代のモザイクには、マリアのサンダルも公表されている。(非公開)
マルコによる福音書15:21に書かれていうように、クレネ人のシモンがイエスに代わり、十字架を負わされた場所。
ここでベロニカという女性が、イエスの顔を絹のハンカチで拭いました。
すると、このハンカチにキリストの顔が浮き上がったと言われています。
この場所は、現在、ベロニカ教会があります。
その時に、ハンカチは、サンピエトロ大聖堂に保存されているそうです。
キリスト教で伝えられるところによると、ここに「審きの門」と呼ばれ城壁に抜ける門があり、その敷居につまずいていたため
イエスが2度目に倒れたとされています。
この門の上にイエスの罪状書きが張りつけられたとされています。
ルカの福音書23:27~31の中で、ここは、イエスがエルサレムの娘たちに
「私のために、泣くな、自分たち、また、自分たちの子供たちのために泣くがよい」と語った場所だと言われています。
現在建っている聖ハラランボス・ギリシャ正教会の修道院の壁に、記念の十字架が刻まれています。
スーク・ハーン・エッセゼイト通り沿いにある商店の脇の階段を上り、道なりに右折後、左折。
聖墳墓コプト教会の入口にある。
ここにあるローマ時代の円柱が、イエスが3度目に倒れた場所。
イエスが衣を脱がされた場所は、聖墳墓教会の入口横にある聖堂と言われています。
右側にあるゴルゴタの丘とされるのが、ローマカトリック小聖堂。
イエスは、ここで衣を脱がされたと言われています。
第10留と第11留は、直接、繋がってはおらず、入口を経由する必要があります。
ローマ・カトリック小聖堂の階段を登ると右側に祭壇があるが、ここでイエスは十字架に釘つけにされたと言われいます。
ローマ・カトリック小聖堂と隣接したギリシャ正教会の小聖堂の祭壇。
磔にされたイエスのイコンがあり、祭壇の下の岩、印のある所が、磔になったイエスの十字架が立てられ、息を引き取った場所。
アリマタヤのヨセフはイエスの遺体を引き取ります。十字架から降ろされたイエスの遺体は、この石の上で香油で清められた
亜麻布に包まれました。
第11留のローマ・カトリックと第12留のギリシャ正教の小聖堂の間には、スタバト・マーテルという、
イエスの死を嘆くマリアの小祭壇があり、ここで聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったと伝えれています。
ヴィア・ドロローサの終点。
イエスが墓に納められ所とされ、現在は、聖堂になっており、天使の礼拝堂の奥にある小さな部屋に、墓石が納められています。
(マタイによる福音書:第27章59~61節)
ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓のほうを向いて座っていた。
今回は、キリストの悲しみの道(DOLOROSA)の歩みを動画でまとめてみました。
キリストの悲しみの道は、現在は、イスラム教徒の街をなっており、狭い路地裏にお店がたくさん並んでいます。
また、金曜日などのイベントの日は、敬虔なキリスト教徒がたくさん集まり大混雑します。
それでも、2000年以上前の風景が想起される雰囲気はなんとも幻想的でした。