旧約聖書でのメギドへの言及は、全部で11箇所にのぼります。
その中で、最も有名なものが、ヨハネ黙示録第16章:14節~16節に記載されており、
「全能なる神の大いなる日に、戦いをするため」「3つの汚れた霊が」「王たちを招集」
するという預言が記載されています。
その舞台となる地こそがメキッドの山で、ハル(山)・メキッド=ハルマゲドンという意味はここから広まり
最終戦争を意味する地となりました。
2005年 ユネスコ文化遺産に登録
同国内に200ほど残る遺丘(テル)の中でも特に代表的で、旧約聖書にも登場する3つの丘が対象となっています。
これらは単に旧約聖書で言及されていることだけに意義があるのではなく、古代の水利施設の遺構や、近隣諸地域の建築様式の影響が
見られる建造物跡など、青銅器時代から鉄器時代にかけての都市や文化交流の様子を伝えていることも重要である。
住所:Megiddo, 18230 イスラエル
時間 | 8:00~17:00 |
定休日 | 無休 |
料金 | 28NIS |
下記が入場チケットです。
メキッド国立公園の地は、主要な層が20層あり、最古のものは紀元前4千年紀にさかのぼる新石器時代のもので、
土器や住居跡が出土しており、青銅器時代には、地震や海の民による破壊などを経て、何度も再建されたあとが見受けられます。
鉄器時代の遺構では、都市に水を供給していた地下水を収集する水利システムが高度に発達していたことも明らかになっています。
そして、現在、約30の都市遺跡が積み重なっていることが明らかになっています。
聖書関連では、『列王記上』の記述では、ソロモン王が、戦車隊の町として堅固にしたという記述があり、列王記23:29では
ユダの王ヨシアがエジプトの王がここで殺されたと記されています。
ここから徒歩2~3分歩くとチケット販売所があります。
チケット販売所は、下記です。
地下水道、ソロモン王の城門、宮殿跡・生贄の台・食物倉庫の跡が確認されています。
後期カナン時代に建てれた門です。
当時は、都市も要塞化されておらず、防御というよりも儀礼的な門でした。
カナンの門の反対側の右側には、厚さ2mの巨大な石の壁があり、その唯一の部分が宮殿の跡に残っています。
この宮殿は、カナン時代に中期に建てられ、カナン時代後期に最盛期を迎えたそうです。
2つの厩舎複合体が北東部のメキドワンで発見され、もうひとつは、マウンドの北東部にあります。
道の左側にある大きな穴が、「エーゲ海の墓」の位置を示しています。
このアーチ型の屋根の構造物は、部分的に石切りで造られています。
イスラエル時代の城壁の近くにある豪華な複合施設があり、宮殿または、行政建築物として機能していました。
その壁は、野石でできており、角だけ化粧されていたそうです。
3本の一枚岩の柱が2列なんでいます。
イスラエル時代の遺跡に典型的な「4部屋の家」として計画されました。
この計画では、3つの平行な空間と、それらに垂直な4番目の空間が特徴的です。
現在、南宮殿には、ここで見られる中庭と門、以前の層に達する部分以外には、何も残っていません。
目の前にある構造物は、深さ7m、直径11mの巨大なサイロです。
容積は、450㎡、約1000㌧の小麦が貯蔵できたそうです。
イスラエル時代に建てられた2つの厩舎のうちのひとつです。
この小道は、アッシリアの征服後に建設された都市の名残です。
メキドがアッシリア地方の首都だった時代にアッシリア総督に仕えていた行政施設の遺跡があります。
この地下水道は、高度な技術を用いて造られており、これにより、高台にありながら多くの人口を養うことができたと言われています。
メキドの住民は、深さ36mの巨大な坑道を掘り、そこから70mにある泉までつながっていました。
トンネルは、傾斜面で仕切られており、水が坑道の底まで流れ、住民が頂上に立ったまま水をくむことができるようになっていました。
チケット販売所の奥に、展示コ―ナーがあり、発掘された品々が展示されています。
ハイファからメキッドへ行くのに私が行ったルートは、下記で、バスステーションから1本で行けます。
Merkazit Hamifrats/Inter-City Platfor 300 25 分 (8 駅) · 乗換地点 ID: 43009
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Ancient Megiddo Intersection
下記が、バスステーションです。
バスステーションは、広いので、わかりづらいですが、番号は、10番から出発します。
メキッドのバス停の周りには何にもありません。
まさか、ハルマゲドンの舞台に行けるなんて思いもよりませんでした。
それが、世界遺産の場所だなんて。
ハイファに宿泊していたら行きやすい場所なので、時間があれば足を延ばしてみてください。